読書好きの徳川家康が熱心に読んだ「ある1冊」 侍医の板坂卜斎は家康を学問好きと評した

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では『貞観政要』とはどのような書物なのか。「貞観」とは、中国の唐の時代(618〜907)の元号だ。「政要」というのは、政治の要諦(物事の最も大切な点)という意味だ。

貞観の世を統治したのが、唐王朝の2代皇帝・太宗(李世民)である。『貞観政要』は、この太宗(598〜649)と側近たちの言行録だ。

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唐王朝の都、長安(現・西安市)の街並み(写真: メソポタミア / PIXTA)

敵対勢力の征伐や、骨肉の争いという修羅場をくぐり抜けた武将であった太宗。 皇帝の座についた翌年(627年)に、貞観と改元した。太宗の治世は23年続く「貞観の治」と呼ばれ、平和で安定した時代として、後世から讃えられている。

忠告してくれる人の大切さを説いた太宗

『貞観政要』には例えば、次のような問答が記されている。

貞観年間(627〜649)の初め頃、太宗は側近に対し、次のように言った。

「君主の道というものは、必ずまずは民衆を思いやらなければいけない。もし、民衆に負担をかけて、君主に奉仕させようとするのならば、それは自らの股の肉を裂き、自分で食べるようなものだ。お腹がふくれても、死んでしまうだろう。

もし、天下を平穏にしたいと思うのなら、君主は必ずまずは、自分の身を正しくするべきだ。身が正しいのに、影が曲がっていたり、上が治っているのに下が乱れるということはない。

私はいつも思っている。自らの身を損なうものは外部にあるのではなく、すべて自分の欲望(私欲)によって起こり、災いを起こすのだと。 美味しい食事をし、音楽や女色を喜ぶときは負担も大きい。政治にも悪影響を与え、民衆を混乱させることになる。

また、君主が一度でもおかしなこと、道理に外れることを言えば、民衆は不安定になり、君主に対する恨みの声があがり、ついには離反する者も出るだろう。私はいつもこのように感じているからこそ、勝手気ままに欲望のおもむくままに過ごそうなどとは思わないのだ」と。

太宗の発言を受けて、諫議大夫(皇帝を諫める官職)の魏徴はこのように答えた。

「昔々の素晴らしい君主は、皆、何事においても、自分事として物事を考えました。だからこそ、国はよく治っていたのです。昔、楚国の荘王が賢人の詹何(せんか)を招いて、国をよく治めるための秘訣を尋ねたところ、詹何は、君主が身を慎んでいるのに国が乱れた例を知りませんとのみ答えました。陛下(太宗)の仰ったことは、この昔の逸話と同じです」

これが『貞観政要』の最初にくる文章だ。

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