1970年代に登場した脱工業化論の出発点をなしているのは、人々は裕福になるにつれ、より洗練されたものを欲するようになるという単純ながら説得力のある考えだ。ひとたび人々の腹が満たされると、農業は衰退する。
服や家具など、ほかの基本的なニーズが満たされれば、電気製品や自動車など、さらに洗練された消費財が求められるようになる。世の中の大多数の人がそれらを手に入れると、消費者の需要はサービスへと向かう。外食、演劇、旅行、金融商品といったものだ。この時点から、工業は衰退し始め、それに代わってサービス業が経済の主役になる。ここに脱工業化時代が始まる。
この脱工業化論が勢いづいたのは、世界じゅうの富裕国で、生産高と雇用の両面で、製造業の重要性が薄れ、サービス業の重要性が高まった1990年代だった。
とりわけ中国が世界最大の工業国として頭角を現すと、脱工業化論の支持者たちは、製造業は今後、中国のような人件費の安い、ローテクの国で行われるものになり、富裕国では金融やIT(情報技術)やコンサルティングといった高度なサービス業が産業の中心になるだろうと論じた。
この議論の中で、サービス業への特化で高い生活水準を維持できることを証明した国として、しばしば引き合いに出されてきたのがスイスとシンガポールだ。
インドやルワンダなど、途上国の中には、脱工業化論やスイスとシンガポールの事例に刺激を受け、工業化の段階をある程度飛ばして、最初から高度なサービス業に特化した輸出国になることで、経済発展を遂げようと取り組んでいる国もある。
スイスは世界一の工業国
しかし脱工業化論者にはあいにくだが、現実には、スイスは世界一の工業国だ。スイスの国民ひとり当たりの製造業生産高は世界で最も高い。
確かに「メイド・イン・スイス」の製品はあまり見かけないかもしれない。しかしそれはひとつには国の規模が小さいからだし(人口わずか900万人程度)、またひとつには、一般の消費者の目に触れない、経済学でいうところの「生産財」(機械、精密設備、工業用化学物質)の製造に重点を置いているからでもある。
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