楽天・三木谷氏はなぜこうも嫌われ者になったか SNS投稿にNTT広報室が反論!全面対決の様相?

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サービス開始当初の「21本の記事」には、三木谷氏個人に焦点を当てた記事がいくつもある。そのすべてが三木谷氏を「時代のヒーロー」的に取り上げているのだが、代表的なものを見てみたい。サービス開始から3カ月後の日経産業新聞だ。

三木谷氏は興銀ではM&A(企業の合併・買収)分野で買収のアドバイザー役を務め、「一人で数億円は稼いだ」。「銀行員として恵まれていた」が、独立したのは、米ハーバード大ビジネススクール(HBS)への留学時の経験のせいだ。HBSでは自分で起業するのが最も優秀で尊敬される――。
そうした雰囲気を感じ、独立の志が芽生えた。帰国後、阪神・淡路大震災で親戚を失い、「一度きりの人生なら、独立したほうが未来が広がる」と考えた。「情報産業における日米の差を縮めたい」といい、大手デパートも「楽天市場」に出店、年末までに店舗数を250店にする考え。(1997年8月14日 日経産業新聞)

この記事にある「三木谷氏の起業ストーリー」には「メディアが好む起業家の要素」のほとんどが見事に集約されている。

最大の要素は「時代性がある」ことだ。当時はインターネットが、メディアで注目を集め始めた時期だ。インターネットという分野そのものが、まさに時代を象徴している。現在に置き換えると、AI(人工知能)か、それ以上に注目を集めている分野だった。

加えて、起業の背景にも「時代性」が強く感じられる。1997年は山一證券、北海道拓殖銀行など、「絶対に潰れない」と思われていた、日本有数の金融機関の破綻が相次いだ年でもあった。日本の未来に懐疑的な見方が広がり始めた時期だ。

エリートが阪神・淡路大震災をきっかけに起業

当時の三木谷氏は日本興業銀行に入り、社費留学でハーバード大学でMBAを取得するなど「日本の企業社会のエリート中のエリート」。そんな「超」が付くほどのエリートが日本を代表する金融機関に見切りをつけ、起業している。さらに起業のきっかけとして、2年前の阪神・淡路大震災を挙げている。

「インターネットという起業分野」、さらに「大企業への眼差しの変化」「起業のきっかけ」と、あらゆる面で「時代を捉えていた」のである。

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