『「最後の海賊」楽天・三木谷浩史はなぜ嫌われるのか』。この夏、こんなタイトルの書籍が出版された。内容は決して三木谷氏に批判的ではないのだが、「なぜ嫌われるのか」というタイトルが成立するほど、今や「不人気」であるのは間違いない。
このような現状を前に、楽天、あるいは三木谷氏に対して「広報が上手い」という印象を抱いている人は、ほとんどいないのではないだろうか。だが創業初期、三木谷氏は起業家として屈指の「広報上手ぶり」を見せていた。
私はかつてテレビ東京経済部の記者として、創業から数年の「広報上手」だった頃の三木谷氏を取材した。そして、現在は独立して企業の広報PRを支援する会社の代表を務めている。
そんな私の経験を基に「広報上手」だった頃の三木谷氏の姿を改めて浮き彫りにすると同時に、今日のように嫌われるようになった原因、さらに「好感度アップの打開策」まで考えてみたい。
三木谷氏の「好感度アップの打開策」
創業から1年間で、21回。これは1997年、『楽天市場』を開始してから1年間で、日本経済新聞とその系列紙に三木谷氏、あるいは楽天が取り上げられた回数だ(記事データベース「日経テレコン」より算出)。
創業間もない企業が毎月2回近いペースで日経や日経の系列紙で取り上げられるのは、極めて異例だ。まして、現在のように気軽に情報発信できるプレスリリースのネット配信サービスもない時代である。
昔のことなので日経以外に十分な記録がないが、テレビ、経済誌、他の新聞を含めれば、掲載数はその何倍にも達するはずだ。
最初に三木谷氏が日経の系列紙・日経流通新聞(現・日経MJ)で記事になったのは、1997年5月。なんと楽天がサービスを開始した初月である。
「あの三木谷氏だから、初月からすごい売上を叩き出して、メディアの注目を集めたのではないか」と思われるかもしれない。だが、三木谷氏自身が後に明かしているが、初月の流通総額は32万円。このうち、18万円は自分で購入したものだという。つまり、今のように目立った実績がない時代から三木谷氏の「広報力」だけで、記事になっているのだ。
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