似過ぎる"タモリ"で大ブレイク!50歳芸人の挑戦 父の遺言を胸に…遅咲き「ジョニー志村」の半生

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29歳の頃、仲間から茨城県で「モノマネ芸人がテレビ出演するチャンスがあるかもしれない」と聞き、神奈川県在住であったが茨城県へ引っ越そうと決意。

きっかけを同じくして、交際していた彼女との「結婚」も決断した。

「茨城県へ行くとなって別れるか、遠距離恋愛か、付いてくるかの3択になって、『付いていく』と言ってくれたのがきっかけで決断したんです。モノマネ芸人として一旗上げるのは一か八かの無謀な夢でしたけど、信じてくれたからには『安心させたいし、幸せにしなければ』と覚悟して、30歳で入籍しました」

しかし、結婚した当初に「妻は、モノマネが大嫌いだった」と明かしてくれたのは意外だ。

「モノマネの意義がわからない。本物を見ればいい」と妻に言われ、「別人が本人を演じて、いかに似ているかが面白い」とジョニーさんは何度も説得。

今や「一番厳しい審査員」と称するほどの“最大の理解者”になり、ブレイクのきっかけとなった“タモリさん”をはじめ、モノマネの研究中にアドバイスもくれるという。

父の遺言を胸に「やりたいからやる」を貫く

あるテレビ局員によれば、モノマネ芸人は全国で“700人”ほど。地方のショーパブなどで活躍するモノマネ芸人も含めれば、それ以上となるのは想像にたやすい。

主戦場のひとつであるモノマネ番組でも、モノマネ芸人が占めるのは出演者の“6割”で、残りの“4割”はお笑い芸人など。

ブレイクのチャンスをつかんだとしても、露出しつづけるのは“狭き門”だ。

番組の「コーナーレギュラーを持つ」のも夢だという(撮影:尾形文繁)

ジョニーさん自身も、熾烈なモノマネ業界で「輝きを放ちつづけるのはなかなか難しい」と痛感。それでも、モノマネ相手への敬意を込めて「できるからやる」のではなく「やりたいからやる」のスタイルを貫く覚悟だ。

いつか「代表的なモノマネ芸人を10人挙げてください」という質問で、必ず「ジョニー志村」と言われるように。

父の遺言「好きなことをやれ。自分の人生なんだから!」を胸に、今日も自身の芸を磨きつづける。

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*この記事のつづき:"タモリそっくり芸人"が教える「モノマネ」のコツ

カネコ シュウヘイ 編集者・ライター

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Shuhei Kaneko

1983年11月8日生まれ。埼玉県出身。編集者・ライター。成城大学文芸学部卒。20代後半に自動車系雑誌の編集プロダクションから独立。以降、フリーランスとして活動を続ける。ライブへ月4〜5回通うほど根っからのアイドル好きが講じて、2014年頃からはエンターテインメント分野を中心に、取材・執筆へ尽力する。雑誌、Web、書籍と媒体は問わず。ブックライターも担う。

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