似過ぎる"タモリ"で大ブレイク!50歳芸人の挑戦 父の遺言を胸に…遅咲き「ジョニー志村」の半生

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モノマネで人を沸かせる「快感」を覚えつつも、大学卒業後は一般企業への就職を決意。

就職活動では無事に内定をゲットしたが、バブル崩壊の煽りを受けて入社前に内定先の企業が倒産

28歳まではやむなくフリーター生活を送り、警備員、コンビニ、ガソリンスタンド、飲食店、夜の接客業……と、仕事を転々とした。

父とその仲間が愛したお店を、約5カ月で閉店

2000年6月、転機が訪れる。28歳だった当時に、父が急逝。故郷の真鶴で、父が経営していたスキューバダイビング専門店を継いだ。

「大学卒業後、家業を継ぐ選択肢もあったんです。でも、苦労を知っていたからか、父は『継がせたくない』と言っていました。急逝した当時はちょうどレジャーシーズンにさしかかる直前で、僕は『ノウハウがないし、できない』とも思ったけど、父を慕う人たちの熱意も受けて継ごうと決めました」

スキューバダイビングのベストシーズンは、7〜10月にかけてとされる。

すでに6月であったため、未経験のジョニーさんは父の仲間に指導を受けて「素潜り」から猛練習

地元の商売敵に嫌がらせを受けるトラブルに出くわしながらも、父の兄にあたる叔父、母、そして、父を慕う人たちに支えられながら、慣れない環境で経営に奔走した

父の家業を継いだ当時の苦労を真剣な表情で語る(撮影:尾形文繁)

しかし、現実は甘くない。海を相手にするスキューバダイビングは、客の命にも関わる。「父の苦労」が身に染みた約5カ月間を経て、自身も愛着あるお店をたたもうと決めた。

「スキューバダイビングの仕事は『人の命を預かる仕事だから、大変だぞ』と生前、父がよく言ってたんです。周囲には『継いでほしい』と漏らしていたようだけど、きっと、苦労を背負わせたくなかったのだろうと。僕に対しては『こんな仕事じゃなく、好きなことをやれ。自分の人生なんだから!』と力説してくれました」

父に追いつこうとしても、自分には「無理」だと悟った約5カ月間。

しかし、当時の経験がなければ、憧れていたモノマネの世界へ飛び込むことはなかった

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