似過ぎる"タモリ"で大ブレイク!50歳芸人の挑戦 父の遺言を胸に…遅咲き「ジョニー志村」の半生

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小学校ではすでに、友達を「モノマネ」で笑わせていた。当時のモノマネ番組では “ものまね四天王”がお茶の間を沸かせていた時代。

放送翌日の休み時間には「昨日、面白かったよねぇ」と友達と他愛ない会話をして、テレビで見た「モノマネのモノマネ」を嬉々として披露していた。

学生時代が「モノマネ芸人」の原点に

いかなる場所でも明るく、いわば「陽キャ」の性格は変わらず。中学校や高校でも、モノマネを披露するジョニーさんの周囲は、常に笑顔があふれていた。

「中学時代は、先生や友達のモノマネを。高校時代はバンドブームでしたし、THE BLUE HEARTSのコピーバンドでヴォーカルを担当して、甲本ヒロトさんの表情や動きも研究しました」

得意な「歌マネ」のレパートリーにあるBOØWYの氷室京介、HOUND DOGの大友康平、THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトは、青春時代の名残り。当時、「大勢の前でのパフォーマンスに、快感を覚えた」と振り返る。

得意の氷室京介に扮する際は“魂”の歌声を響かせる(写真:ジョニー志村さん提供)

大学時代には拍車がかかり、サークルやゼミの飲み会では行きつけの居酒屋で「ちょっとしたステージ」に立った。

「帽子を被り、サングラスをかけるとチャゲさんそのもの」と太鼓判を押す親友と、チャゲ&飛鳥を熱唱。自身は“飛鳥”に扮していた。

衣装や小道具にもこだわり、同窓生だけではなくお店の常連も沸かせた。

見ず知らずのサラリーマンの方からおひねりをいただくほど、ちょっとしたお店の名物でした。店員さんも協力的で、スタンドマイクを用意してくれたし、出番になると照明も工夫してくれて。わざわざトイレでダブルのスーツ、ハイネックのシャツに着替えて、飛鳥さんになりきっていました(笑)」

チャゲ役の親友は現在、一部上場企業の社長に。今もたがいに「お前も頑張っているから、俺も頑張れる」と励まし合っているという。

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