幼少期は「いたって平凡ながらも、幸せな家庭」で育ったと、ジョニーさんは振り返る。
父は会社勤務で、母は専業主婦。3人兄弟の長男として、幼稚園時代や小学校時代には、母から「あんたは口から生まれてきた」と呼ばれるほどおしゃべりで、明るくひょうきんな子どもだった。
影響を受けた父は「海のカリスマ」だった
家庭環境に変化が生まれたのは、小学2年生の頃。
若くしてスキューバダイビングに魅了された父が脱サラ、故郷の神奈川県・真鶴でスキューバダイビングの専門店を開業した。
「父は、酸素ボンベが日本で浸透していない時代に消火器を改造して自作のボンベを作っていたほど、海とスキューバダイビングに魅入られた男でした」
自身も海が「一番の遊び場」だった少年。影響を与えてくれた父は、スキューバダイビングのインストラクターを指導する「マスターインストラクター」の資格を持ち、日本での黎明期に潜水士の資格も取得していた実力者だ。
水難事故の際には、警察や海上保安庁からの依頼を受けて、不明者の捜索にもあたる「海のカリスマ」だった。
夢を叶えた父のスキューバダイビング専門店には、毎夏、父を慕うお客さんが足繁く通うように。
のちに、このお店がジョニーさんの人生を大きく変えるきっかけとなった。
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