似過ぎる"タモリ"で大ブレイク!50歳芸人の挑戦 父の遺言を胸に…遅咲き「ジョニー志村」の半生

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父から継いだスキューバダイビング専門店の閉店を決定。

当初あったはずの「覚悟」や「自信」をなくしたジョニーさんは、「真剣に将来を考えなければ」と思った。

28歳の冬、テレビで見たのが「ものまねできる人、大募集!」の文言。「自分の好きなことはやっぱりコレだ!」と直感した。

「お店の最終営業日に、常連客や関係者の前で『僕はモノマネ芸人になります!』と宣言して。でも、『絶対に無理だ。現実的じゃない』『何考えてるんだ。バカなの!?』と、猛反対の嵐でした(笑)」

愛あるがゆえの猛反対。

それでも突き進む原動力になったのは、父の遺言「好きなことをやれ。自分の人生なんだから!」、そして、背中を押す母の優しさだった。

「研究、練習、ネタ披露」のサイクルに

初めて参加したモノマネ番組のオーディションでは緊張もありながら、実力ある参加者を見て、ジョニーさんは「みんな夢を持ってここに来ているんだ!」とワクワクした。

初参加のオーディションで、モノマネ仲間との輪も広がったという(撮影:尾形文繁)

オーディションでは、参加者が次々とモノマネを披露。スターを目指す参加者たちのレベルに「驚く」と同時に、不合格ではありながら「もう少し頑張ればいけるかもしれない」と手ごたえもつかんだ。

「オーディション後はとにかく、研究と練習をしました。いろいろなアーティストの歌マネがやりたかったので、たくさん聴いて、カラオケで歌い込んで動画配信のない時代でしたし、ライブDVDを飽きるほど見返して、表情や仕草を刷り込みました

同じくしのぎを削ったモノマネ仲間とも交流を深め、不定期出演していたショーパブの営業で実践。

当時の経験で「研究、練習、ネタ披露」のサイクルが、徐々に身体に染み付いた

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