物議呼んだ「90歳の車椅子登山」知られざる舞台裏 三浦雄一郎氏の次男、豪太氏はどう支えたのか

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2022年の10月には、札幌の手稲山(標高1023m)に登り、山頂で10月12日生まれの父の卒寿を祝った。ここでも多くの仲間と楽しい時間を共有した(写真:『諦めない心、ゆだねる勇気 老いに親しむレシピ』)

インクルーシブ野外活動で得られる、感動と高揚

デュアルスキーやアウトドア用車椅子を使ったインクルーシブ野外活動。僕が、この活動に出会い、感銘を受けた経緯を書こう。

ひとつめの経験は、今から十数年前のことだった。

僕と父は、中岡亜希さんという人から「富士山に登るサポートをしてもらえませんか」との依頼を受けた。

1976年生まれの中岡さんは、22歳で身体の異変を感じ、 25歳で希少難病である「遠位型ミオパチー」と診断される。それは、全身の筋肉が末端から少しずつ衰える進行性の難病であり、徐々に身体の自由がきかなくなるというものだ。大変に苦しい状況に追い込まれたのだ。

中岡さんは精神的に大きなショックを受けたものの、そこで人生を諦めなかった。車椅子で積極的に外に出るようになり、塾で英語を教え始めた。塾の生徒に「山に行こうよ」と誘われたことがきっかけで、車椅子やバギーを駆使して山に登るようにもなった。

そして、2009年には富士山に登ろうと計画し、僕らに協力を求めてきたのだ。

僕と父は中岡さんの熱意に感銘を受け、実現できるようにプロジェクトを組んだ。

そのときは、物理的には中岡さんが乗る特殊な車椅子をみんなが引っ張ったが、精神的には富士山に登りたいという中岡さんの気持ちがみんなを引っ張った。

ふたつめは、杉田秀之さんの話だ。

2007年の夏、僕は慶應義塾大学ラグビー部の皆さんに請われ、一緒に富士山に登ることになっていた。部の夏合宿の最終日に、みんなで富士登山に挑戦するという計画だったのだ。ところが合宿での練習中に、スクラムが崩れる事故が起き、部員のひとりであった杉田さんは頸髄を損傷してしまう。もちろん登山は中止となった。

杉田さんは、病院で生涯歩くことはできないだろうと診断され、その出来事はラグビー部の仲間たちの心にシコリとして重く残ることになる。

それぞれ社会人となった仲間たちは、そのとき果たせなかった夢を、当時の監督、そして杉田さんも含めて全員で実現させようと、12年後の2019年に富士山に挑む計画を立てた。

そこで、また僕に声をかけてくれた。とても嬉しいオファーだった。僕は1年越しのプロジェクトを組み、自分の知識や経験をすべて投入した。

アウトドア用車椅子を活用しつつ、足に麻痺は残るものの奇跡的に歩けるようになった杉田さんも、できるだけ自分の足を使って山頂を目指すことになった。

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