「島左近」老齢の剛将が関ヶ原で放った最期の輝き 戦と人の機微を捉えぬ三成に尽くした忠実なる将

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関ヶ原の戦いで左近は討ち死にを遂げるのですが、その詳細はよくわかっていません。左近の首も死体も発見されておらず、その最期にはさまざまな説があります。少なくとも合戦のはじめは、左近は石田隊を率いて陣頭で戦い、その最中に黒田長政隊からの狙撃で負傷したというところまでは確かなようです。

その後、再び出撃してからは、よくわかっていません。田中吉政隊の狙撃で倒されたという説もあれば、戸川達安という武将に討ち取られたという説もありますが、いずれも確証がありません。

この時の左近の戦いぶりがいかに凄まじかったかという逸話が残っています。関ヶ原の戦いに出陣し、左近と戦った武将たちがその時の左近について記憶をたどって話し合ったらしいのですが、左近の指物、陣羽織、具足に至るまで全員の記憶がバラバラで、「恐ろしすぎてちゃんとおぼえていない」と皆が嘆息したと言います。このとき61歳という老齢だった左近が、いかに勇猛であったかを表しています。

NHK大河ドラマ『どうする家康』
関ヶ原古戦場の島左近の陣跡(写真:yama/PIXTA)

島左近は生き残っていた?

首も死体も見つからなかったことから合戦後、左近が生きているという情報が飛び交ったようです。特に京での目撃情報が相次ぎました。家康は当然、その探索を命じたと思われますが、左近が見つかることはありませんでした。いまでも、その京や浜松、熊本、滋賀などで左近の生存説が残っています。

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