「奨学金850万円」女性に両親がかけた謝罪の言葉 「言うことを聞かない娘」に親は厳しく…

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「当時は『男の子に負けないように勉強して進学校に入ったのだから、絶対に大学に行きたい』という気持ちでした。それに、もともと勉強するのも好きだったので、将来は学校の先生や、勉強に関わる仕事、学び続けることができる仕事に就きたいという思いは漠然とありました」

とはいえ、両親からの理解は得られず、学習塾に通うための教育費も出してもらえない。応援がない環境の中、畠中さんは独学での一浪の末、東京大学に合格した。

だが、親の言うことに従わない娘に対し、両親は支援をしないスタンスだった。こうして、畠中さんは奨学金を借りることにした。

「入学時点ですでに両親からは『お前には学費を出さない』と言われていたのですが、国立大学の学費は年間60万円程度(当時)。だったら、奨学金でも通えるだろうと思って第一種奨学金(無利子)を借りました」

1年生の途中で実家を飛び出し、ギリギリの生活

こうして、畠中さんは東京近辺の実家から駒場東大前まで片道2時間をかけて通った。しかし、その生活も長続きはしなかった。

「高校時代は19時まで、大学時代は21時までという門限が両親から設けられていたんです。これでは、大学の友人と少し遊ぶだけでも、片道2時間だったら当然門限には間に合いません。そのせいで、両親との諍いも増えてしまい、いよいよ耐えられなくなったので、1年生の途中で実家を飛び出してひとり暮らしを始めました」

ここで、奨学金も第二種奨学金(有利子)を追加。月額およそ8万円の貸与額となったが、ひとり暮らしともなると生活に余裕はなくなる。そこで、畠中さんはキャンパスの近くで家賃3万円の風呂なしアパートに住むことにした。

「とにかく、交通費がかからないところを探して見つけ出したんです。でも、つねに身の危険を感じながら生活していましたね。というのも、そのアパートは柵もベランダもなく、掃き出し窓のすぐ外が人通りという下町の一角だったので、19歳のわたしは怖くて、窓を開けることすらできなくて。さらに、家にいるときは窓を閉めるだけではなく、雨戸まで閉めて1日中、家の中で息を潜めるような生活を送っていましたね」

しかし、いくら家賃を抑えたとしても生活費は当然かかってくる。そこで、畠中さんはギリギリまで食費を削った。

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