「奨学金850万円」女性に両親がかけた謝罪の言葉 「言うことを聞かない娘」に親は厳しく…

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この時点で1000万円近く借りた計算になるが、修士課程で成績優秀だったため、120万円の奨学金は返済免除となった。

「2〜3個上の代の先輩たちは、『教職と研究職に就職をすれば、奨学金の返済はかなり楽になるよ』という話をしていましたが、わたしの代からその制度がなくなったんですよね。だから、当時は『もしかたら、この返済免除はその代わりなのかな?』と思っていたのですが、同期の子に聞いても免除されなかったらしいです」

これは日本育英会時代の「教育又は研究の職に係る返還免除」という、「政令に定められた教育又は研究の職(以下、免除職)に就いたときの免除制度」のことを指す。確かに畠中さんが大学院に在籍していた頃、この制度は廃止となっている。

とはいえ、その代わりの特別免除の制度は特にないため、畠中さんはただただ成績優秀だったということだろう。

社会人となり、奨学金の返済が始まる

こうした恩恵も受けて、彼女は大学院には8年近く在学することができた。しかし、その後の研究者としての働き口はなかった。

「しかも、大学院在学中に結婚して、子どもも2人生まれたんです。そのため、1〜2年はパートタイムで非常勤講師などをしながら、ほぼ専業主婦みたいな生活をしていました。ただ、専業主婦だと子どもを保育園に入れることができないので、博論を執筆する時間がない……。どうせ博論を書けないなら大学院は退学して、生活費を稼ごうと考えて、幼児教室を運営している会社に就職しました」

こうして、社会人となった畠中さん。これまでは学生の身分だったため、返済義務のなかった奨学金の返済がここで始まる。

「第一種と第二種の両方を借りていたため、毎月の返済はなかなか重かったです。社会人1年目で、しかも子どもがまだ小さい時期はしんどかったですね。夫はサラリーマンで生活費は支え合えたので、まだ救いがありましたが、さすがにこの状況から早く抜け出すために、貯金ができたときは繰り上げ返済をするようにして、毎月それぞれ5万円ずつ、合計10万円払っていたこともあります。そのおかげで、後に毎月の返済額が合計で3万円程度まで減らすことができました」

850万円という返済額は重くのしかかった……。そんな中、畠中さんは5年間、幼児教室を運営する会社で勤務した後、学校教師を養成する育成機関で、常勤の教員として教鞭を執り始める。

次ページ現在、教員として働きつつ、3人の子どもを育てている
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