コミュ力より「安パイな存在」実は仕事で有利な訳 人は「どんな人を周りに紹介するか」考えてみる

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私がコミュニケーション能力が高いということではありません。

私は初対面の人と会うときはものすごく緊張します。紹介してくれる人の顔は絶対に潰せないと思います。“ええカッコしい”でもあるので、その会食メンバー全員に嫌われたくありませんし、「いい人だと思われたい」と考えています。

ですから、会食に来る人の情報はできる限り集めます。著書や動画があればできる限りチェックします。ですから、著書が何冊もあったり動画をたくさんアップしているYouTuberだと困ります(笑)。

ともかく、紹介者する側の立場で考えると、とても優秀だったり有名人だったりしても、場を乱すような発言や、相手を不快にする人は呼びませんよね。

紹介は“する側”に大きなリスクが伴います。たとえば彼氏が欲しい友人がいて、誰かを紹介したとします。その人が実は遊び人で不誠実で、友人が傷ついたとします。友人に悲しい想いをさせてしまうのはもちろん、これが原因で大切な友人関係が壊れてしまうかもしれません。

また、「人を誰に紹介するか」というのはセンスが問われます。先ほどの社長のことを「さすがだな」と思うのは、私とのマッチングに意味がなさそうな会には誘わないところです。

そして、自分からはアピールしづらい実績や、セールスポイントを同席者にしっかり説明してくれます。

全員をまんべんなくほめながら、メンバーがつながることで広がるビジネスの可能性を例示してくれます。完璧ですよね。その後ビジネスにつながるかどうかはさておき、有益な情報を交換できたり、刺激を受けたり、少なくとも「その場に行ってよかったな」と感じます。

このマッチングセンスがないと、ビジネスセンスがないと思われます。ビジネスというもの自体が、人や技術のマッチングで創造されます。ですから紹介する場面でのマッチングがいい加減すぎるとビジネスパートナーとして疑問符を持たれてしまいます。

紹介される者の責任もある

このように紹介には責任が伴います。「紹介者責任」という言葉もあるくらいです。

ここで改めてお話したいのは「紹介する側に責任があるように、紹介される側にも責任がある」ということです。ここは意外と見落とされがちなポイントです。

紹介というシーンは、ビジネスにおいてとても重いものです。

「あの人の紹介なら、ちゃんとした人だろう」「あの人の紹介だから時間を割いて会ってみよう」という、紹介する人の信用があるからこそ、知らない誰かに会えるのです。

信用は一朝一夕でできるものではありません。紹介者が時間やお金を費やし築いてきた信頼関係の土台で成立している機会です。仮に相手に不快な想いをさせてしまったら、「信用していた人からの紹介だから時間をつくったのにな。あの人意外とセンスないのかも」と、紹介者の信用度を下げてしまいますし、紹介者と相手の関係も壊しかねません。

そして、紹介という場面は、難しいことに「相手が不快な思いをしていたとしても、それに自分は気づきにくい」という性質があります。

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