「豊臣秀吉を支えた家臣たち」の上下関係のナゾ 五大老と五奉行、どちらが格上だったのか?
つまり、五大老は秀頼を補佐し、大名へ領地の給与を行う、五奉行は豊臣家直轄領の管理を行っていたと整理することができる。
五大老は豊臣政権を権威付けるものであり、五奉行は政治実務を遂行していく、それによって、豊臣秀頼が成人するまで天下を統治していこうとしたのである。それが、秀吉の構想であったのだろう。
以上のことから、現在「五大老と五奉行はほぼ同格」「五奉行は格下ではない」とする見解が出てきている。
一方で、私はこの見解に対して、疑問を抱いている。所領の規模、官位(例えば家康は正二位・内大臣。石田三成は従五位下・治部少輔)から考えても「五人の衆」(五大老)のほうが格上だからだ。
また「五大老」は先にも述べたように相談役であり、「五奉行に政治運営を任せ、五大老にそれを権威づけさせる」とする見解もあるが、権威づけできる立場にあるということは、五大老のほうが格上であると言えるのではないか。
五大老の持つ力と、五奉行の限界
例えば、現場でバリバリ働いている中堅(もしくは上位)クラスの職員と、社長のすぐ下のクラスにいて、中堅社員の相談に乗る重役のどちらが格上かというと、当然、後者であるだろう。家康は「秀吉の下で、最も格が高かったのはまちがいない」と言われる人物である。
その人物が、石田三成らと「ほぼ同格」であると言ってしまってよいのであろうか。「五奉行が結束すれば、家康に対抗しうる力を持っていた」「五奉行は、五大老の重鎮である前田利家を動かし、毛利輝元を味方に引き入れるだけの潜在能力を秘めていた」として、五大老も五奉行も「ほぼ同格」とする説もあるが、五奉行が個々の力で対抗できず、五大老を自軍に引き入れなければいけなかったということ自体に、五大老の力を感じるとともに、五奉行の力の限界を感じてしまうのである。
(主要参考文献一覧)
・笠谷和比古『徳川家康』(ミネルヴァ書房、2016)
・藤井讓治『徳川家康』(吉川弘文館、2020)
・日本史史料研究会監修『関ヶ原大乱、本当の勝者』(朝日新書、2020)
・本多隆成『徳川家康の決断』(中央公論新社、2022)
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