「FIREでできた心の穴」埋めた驚きの"人生の決断" FIREを捨て「自己肯定感」取り戻した"選択"とは

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また、友人の子どもが最近アメリカに留学した話を聞くと、円安とアメリカの物価高で、想像をはるかに超える教育費がかかっているという。

自分の娘が「海外で勉強したい」と言い出したら、自分のことはさておきその夢をかなえてあげたいと思うが、その分、自分の引退後の人生設計をより質素なものに変更せざるをえなくなる。

加えて、自分が健康でいつづけると、今度は「長生きリスク」、つまり長生きにより「想定を超える生活費」が必要となる可能性が出てくる。

健康で長生きすること自体は幸せなことではあるものの、一定額の財産を取り崩して生きていくとすると、長生きすると経済的に困窮して不幸せになりかねない、という矛盾が生まれる。

もちろん「ある程度のバッファー」を持ってFIREしており、今ある資産をたんに取り崩すだけではなく、資産収入も物価上昇に一定程度スライドするような計画を立てていたが、想定外のことが起きると、さまざまな形でメンタルにプレッシャーがかかるという事実は、ご理解いただけるはずだ。

FIREは「幸せそのもの」ではなく「手段」でしかない

ここまで、FIREで生まれた、これまでに経験しなかったストレスについて議論してきた。

それらのストレスは、簡単に解決するような種類のものではなく、FIREした人にかならず付きまとう、消えることのないものだ。

もうおわかりだと思う。FIREがもてはやされ、あたかもそれが人生の目標のように言われていたりするが、それは大きな間違いなのだ。

FIREは「人生における幸せを実現する手段」でしかなく「幸せそのもの」ではない。そして「FIREによって失うもの」もあるのだ。

FIREしたはずの筆者は、実は半年前に辞めたはずの仕事に復帰した。

酒販免許を取得し、ウイスキーのインポーター兼オンラインショップを起業したのだ。今は、真剣に毎日ビジネスを切り盛りして、再び朝から晩まで働いている

「そんながむしゃらに働くことに疲れ、経済的な自由を手に入れるために仕事を辞めたのでは?」「もう働かないはずではなかったのか?」と思われるかもしれないが、仕事を再び始めた今、皮肉なことに(?)「強い幸せ」を感じている。

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