ハロウィンに若者が「渋谷センター街」に集う背景 センター街発カルチャーの歴史も振り返る

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1990年代に入ると、茶髪のメッシュヘアに、日焼け、ルーズソックスにローファーで制服を着崩す、といったギャルの女子高生が、センター街でよく見かけられるようになり、マスコミの注目を集めるようになる。

ギャルカルチャーは女子にとどまらず、2003年頃には「ギャル男カルチャー」も話題になった。ギャルたちに人気のアパレルブランド『アルバローザ』の洋服を身にまとい、センター街を歩く彼らは「センターGUY」と呼ばれるようになった。

渋カジや、ギャルカルチャーの注目で、若者が集まったセンター街。当時も治安の悪化はあったかもしれない。ただそれは一部の人たちの騒ぎであり、ここ数年のハロウィンのように、みんなが我を忘れて騒ぐような状況ではなかった。

イベント時に集合する場所に変化

2000年代に入ると、駅前のスクランブル交差点を含めて次第にセンター街は「イベント時に集合する場所」へと変化していった。

石井研士氏の『渋谷学』によると、イベント時に人々が集合場所として渋谷に集まるようになったのは、自然発生的であり、具体的な理由はわからないようだ。

渋谷での集合が目立つようになったのは、2010年のサッカーW杯からになる。当時、日本代表が初戦で勝利をすると、スクランブル交差点に多くのサッカーファンが集まり、ハイタッチするという現象が起こった。

2010年に続き、2014年のW杯でもスクラブル交差点に人々が集まり、大騒ぎになった。そして、イベント時のスクランブル交差点から続く、センター街の来街者はよりいっそう増えていき、さらにネットの普及で海外にも認知され、いつの間にか外国人観光客も訪れるようになった。

こうして大勢集まる渋谷で「ハロウィン」が定着し始めたのは、2014年ごろからだ。

2014年のハロウィンは、ちょうど金曜日だった。休日前のイベントということや、SNSの流行もあり、渋谷に人々が集結。パレードのようになったセンター街は大混雑になり、警察が出動するまでの事態になった。

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