秋の海外旅行にぴったり「絶景が楽しめる国」3選 「チェコ」「マチュ・ピチュ」…あともう1つは?
・キリスト教勢力の侵攻
8世紀、アラブ人によってイドリース朝が建国され、首都フェスが造営されました。その後、チュニジアから興ったファーティマ朝に侵略されました。
11世紀に入るとイスラーム化した先住民のベルベル人がムラービト朝を建国し、新都マラケシュを建設します。この「マラケシュ」の名は現在の「モロッコ」の由来となっています。その後、ムワッヒド朝が成立、両王朝ともイベリア半島へ領土を拡大し、キリスト教勢力と戦い、衰退してしまいました。
この頃、モロッコに建国されたマリーン朝は、大航海時代の到来でポルトガルに敗れ、衰退してしまいます。さらに、16世紀に成立したサアド朝は強力な軍を持って、西サハラにあったソンガイ王国を滅ぼし、以降モロッコとサハラ地域の文化的交流が始まりました。
モロッコとヨーロッパ諸国
・フランスの植民地へ
1660年、現在のモロッコに続くアラウィー朝が成立しました。ヨーロッパ諸国との友好政策をとりましたが、19世紀に入り、フランスによる圧迫や中南米植民地を失ったスペインとの戦争に敗北し、不平等条約を余儀なくされます。
そして、1904年の英仏協商で、モロッコにおけるフランスの優越権が認められると、これに反発したドイツがモロッコへ艦隊を進めるモロッコ事件(1905年・1911年)が起き、最終的に1912年フランスの保護国となりました。
戦後、1956年にフランスからの独立を達成しましたが、セウタはスペインに占領されたまま、南の西サハラの領有権をめぐっては、アルジェリアやモーリタニアなどが絡み合い、現在でも未解決のままなのです。
SNS映えする旧市街や広場の眺望の裏にある歴史的な背景を知ってから現地へ行くと、シャウエンの旧市街もマラケシュの広場も、もっと味わい深く見えて濃密な旅になりますよ。
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