日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか いまこそよみがえる、福沢諭吉からの警告
大国の盛衰は、歴史の必然である。過去の歴史を見ても、永遠に栄光の座についている国などない。栄光の座についていた西欧は、やがて来るだろう衰退の運命を恐れた。栄光をつかんだ国は必ず亡びる。だからこそ、だれしもその栄光が長く続くことを望む。
そのためには、過去の帝国の栄光がどうやって滅んだのかという理由を知ることだ。こうして、18世紀から19世紀に「文明の衰退論」が一種のブームとなり、さまざまな著作が現れた。
18~19世紀「文明の衰退論」ブーム
その先駆けが、シャルル=ルイ・ド・モンテスキュー(1689~1755年)の『ローマ人盛衰原因論』(1734年)である。モンテスキューは、こう述べている。
しかし、いつの間にか国は崩壊していった。それはなぜか。それはそうした優れた人々がいなくなり、腐敗が国中に蔓延したからである。
19世紀西洋諸国は、産業革命と資本主義という武器によって世界を制覇したが、このローマ帝国の衰退を語るモンテスキューの言葉に、幾分かの不安を覚えたと思われる。しかし、19世紀により強化される帝国主義的な西欧支配の前で、やがて不安ではなく、慢心へと進んでいった。
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