非西欧的価値観と衝突したキッシンジャーの限界 世界を「西欧的価値観」で普遍化しようとしたが…
キッシンジャーが亡くなった。良くも悪くも、100年を生き続けた類いまれな政治家であったことは否定できない。人の評価には毀誉褒貶がつきものだが、それはどこから人を判断するかによる。
スコットランド出身のジャーナリストであるニーアル・ファーガソンの伝記『キッシンジャー』全2巻(村井章子訳、日経BP社、2019年)のように、ありとあらゆる資料を読み、この人物をきちんと評価するべきかもしれないが、私はキッシンジャーが外交を展開した非西欧の国々の立場からみてみたい。
アメリカという理想像の終焉
キッシンジャーといえば、1973年のチリのピノチェトによるクーデタと、ベトナムからのアメリカ軍の撤退を思い出す。この2つの出来事は流れとしては真逆のことであるが、それは21世紀にいたる歴史の曲がり角を示している。アメリカという理想像の終焉である。
それはベトナム戦争の敗北で、アメリカという絶対的権力が衰退したことと、そしてチリという新しいクーデタによる政権を強引につくり、新自由主義の実験を行い。20世紀後半に向けてのアメリカの復活の実験を行ったことである。
キッシンジャーはバランス・オブ・パワー(勢力の均衡)を旨とする外交家だと言われる。1971年の突然の中国訪問、そしてソ連東欧圏との雪解け、デタントなど、八面六臂の活躍をしたのがキッシンジャーだ。
勢力の均衡という考えは、1648年のウェストファリア条約から来ている。つい最近出たキッシンジャーの書物『国際秩序』(伏見成蕃訳、日経ビジネス文庫、2022年)の冒頭で、こう述べている。
「私たちの時代に秩序として適用しているものは、4世紀ほど前に西欧で編み出された。ドイツのヴェストファーレンで開かれた和平会議がそれにあたる。他の大陸や文明諸国はほどんと関与せず、認知してもいなかった」(10ページ)
「力の均衡が状態となり、望ましいと見られれば、各支配者の野望の釣り合いがとれて、理屈の上では紛争の規模が制約されるはずであった」(11ページ)。
そして彼は、こうした勢力均衡の価値観は現在の西欧の基本的価値観を形成し、それが今の国際社会の価値観になっていると述べる。そしてそれが世界に普及したのは、植民地の人々でさえ、この価値観で民族独立を主張したからであると。
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