非西欧的価値観と衝突したキッシンジャーの限界 世界を「西欧的価値観」で普遍化しようとしたが…
確かに圧倒的パワーをもった帝国アメリカが、世界に君臨し、ユニラテラルな国にとして世界を指導し始めていた、まさにそのときに、この事件は起こったのである。
皮肉ともいえるこの現象は、グローバリゼーションという西欧的価値観の流布そのもの中にあった。グローバル化することで、先進国の資本や技術が非西欧世界に拡散し、非西欧が世界市場の中で次第に技術を高め、資本を蓄積し、次第に西欧に対抗できるようになっていったからである。
グローバリゼーションによるレジームチェンジ
こうして次第にGDPにおいて、軍事力や政治力において非西欧諸国は力を増してくる。
西欧諸国がサービス業と金融業にシフトしていくことで、些末な工業製品を作らなくなり、日常生活の品物を作るものは非西欧ということになってくる。BRICSという枠組みでも知られる非西欧諸国が次第に、新しい産業国家として勃興してきたのである。
ここで西欧的価値基準が依然として力を持ちうるのかという問題が出てくる。かつて西欧の外に置かれ、非人間的に差別されてきた国々が、今でははっきりとものをいうようになる。その例がロシアであり、中国であった。
キッシンジャーはウクライナ戦争が始まったとき、ウクライナは中立ではなく、NATO(北大西洋条約機構)に入るべきだと語ったが、そうなると非西欧的価値観ともろに衝突する。ウクライナが西欧であるかどうかも疑問だが、ウクライナが西欧に入るとすれば、ロシアとの勢力均衡は崩壊する。
しかし、あえてそこまでしてもこだわらざるをえないのは、いよいよ西欧世界がつくりだした価値観が、崩壊するからかもしれないからである。そうなるとウクライナのみならず、西欧的価値観に賛同する国を、自らの勢力の中に引き入れ、その勢力の増大によって西欧は自らの延命にかけるしかなくなる。
キッシンジャーはある意味不幸な時期に亡くなったともいえる。西欧的価値基準であるウェストファリア条約の価値観が世界の一部の地域にしか当てはまらなくなったことがわかったからである。もう一度その価値観を繰り返し、西欧の歴史の普遍性と世界の教師としの役割を西欧が担うべきかどうかについて、苦悶しながら生涯を終えたからだ。
まさに歴史の岐路に遭遇し、その責任をとるために今一度、この問題を熟考するはずであったであろうが、その夢もかなわず永遠に旅立ったからだ。
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