非西欧的価値観と衝突したキッシンジャーの限界 世界を「西欧的価値観」で普遍化しようとしたが…

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この対立を避けるには、非西欧の多様性を認めるべきなのだが、ニクソン政権が行ったことは、アメリカという軍事、経済、政治のパワーにおいて世界に並ぶもののない力を世界に誇示したことであり、それと同時に譲歩もしながら、やがて西欧的価値観に変貌する時を待つという作戦であったともいえる。

東西のデタントによる雪解けは、やがてソ連・東欧への大量のドルの貸付けを生み出し、それがコメコン(COMECON、経済相互援助会議。旧ソ連と東欧圏の社会主義国が結成した経済相互援助に関する会議)による経済体制を破綻させた。

中国訪問によって、アメリカは中国という国の価値観の相異を認めるふりをしながら、一方で開放政策として資本主義体制に引き込み、中国の体制をぐらつかせることにも成功した。

非西欧諸国が忘れない差別と搾取

1989年から始まるソ連東欧体制の崩壊は、キッシンジャー政権から始まる「トロイの木馬」作戦の結果であったともいえる。一見、他国の価値観の相異を認め、寛容なふりをしつつ、相手が安心しきった後、相手の寝首を掻く作戦だったともいえる。

ただここで忘れてはいけないことは、非西欧諸国は欧米に対する植民地時代の積年の憎しみをけっして忘れたわけはなかったことである。これらの地域が、西欧的価値観の外にあったことで、徹底した差別と搾取の対象になった非西欧諸国の人々は、西欧的価値基準のもつダブルスタンダートの価値観に納得していたわけではない。

まさに2001年9月11日に、欧米的世界秩序に激震が走る。普遍的価値基準だと確信していた西欧的価値基準、国際法、国際条約などが、けっして普遍的なものではなく、非西欧から異議申し立てを受けるものにすぎなかったことがわかったのである。

彼らをテロリストと呼ぼうと野蛮人と呼ぼうと、西欧的価値基準の外から彼らがアメリカを攻撃したことはショックだったはずである。キッシンジャーは当時、国際的価値基準を喪失した無法地帯の出現に驚いていた。

ソ連東欧体制の崩壊によって単一の世界市場となった90年代、グローバリゼーションという言葉によって、世界が欧米的価値基準によって平準化するかのように見えた。

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