現代遺伝学がもたらす民族主義の再燃という悪夢 幻に終わったヒトゲノム計画による理想の世界

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確かに冷戦は終わったかもしれないが、2000年代になっても遺伝学は1950年代と同じく国家形成の道具にすぎなかったのだ。それとともに各国政府は少数民族を目の敵にして、社会や政治のあらゆる問題の原因をなすりつけるようになった。

たとえばゲノム・ロシア計画では、「ロシア民族」と「非ロシア民族」をはっきりと区別している。後者の中には、1990年代に独立を懸けてロシア軍と戦ったチェチェン人など、ロシア政府が国の安全を脅かす者とみなす数々の少数民族が含まれる。

アメリカ合衆国も同様の遺伝子検査を利用して少数民族を狙い撃ちにしている。2020年初めに国土安全保障省が、メキシコとの国境を越えてやって来る移民のDNAサンプルを採取して、その分析結果を膨大な犯罪データベースに反映させる取り組みを始めた。

中国政府によるウイグル人の弾圧

国家による監視の道具として遺伝学を利用する所業は、2000年代にかけて中国でもどんどん増えていった。2016年に中国政府は、イスラム教徒が大多数を占める少数民族ウイグル族のDNAサンプルの採取を開始した。

ウイグル人を見つけ出して弾圧する行為はもっと幅広くおこなわれていて、その極めつきに、100万を超すウイグル人が中国北西部の新疆(しんきょう)一帯にある抑留施設に強制的に収容されている。

今日、現代遺伝学で約束されていた「共通の人間性」という理想像は、以前よりもますます手の届かないものになっているようだ。

(翻訳:水谷淳)

ジェイムズ・ポスケット ウォーリック大学准教授

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James Posckett

ウォーリック大学准教授。科学技術史が専門。ケンブリッジ大学で博士号を取得し、ダーウィン・カレッジのエイドリアン・リサーチ・フェローシップを取得した。『ガーディアン』『ネイチャー』『BBCヒストリーマガジン』などに寄稿し、インドの天文台からオーストラリアの自然史博物館まで、世界各地を調査のために訪れている。2013年にはBBC新世代思想家賞の最終選考に残り、2012年には英国科学作家協会による最優秀新人賞を受賞している。著書に学術書『Materials of the Mind』がある。

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