青木さんがロリータファッションにめざめたのは17歳、女性向けファッション雑誌の読者モデルがきっかけだった。
今でいうWeb上の「インフルエンサー」のように、当時の若者が憧れる存在として活躍。
掲載誌のひとつ、ロリータファッションを扱う雑誌『KERA』(ジェイ・インターナショナル/2017年6月号で紙媒体からデジタル版へ移行)が、人生を変えた。
「年齢を重ねても『お姫様になりたい』という願いは、女性なら誰もが持っていると思うんです。それをかなえてくれたのが、ロリータファッションでした。自信のなさを打ち消してくれるし、今では『戦闘服』と呼んでいます」
外務省の「カワイイ大使」で25カ国を歴訪
高校卒業後は短大へ進学して、看護師(次ページに詳細を記述)に。
変わらずにロリータファッションのスタイルを貫いていたが、SNSでは「25歳を過ぎたらロリータなんてやめるべき」と辛辣な意見も届いた。
しかし、転機が訪れる。
26歳で外務省による「カワイイ大使(ポップカルチャー発信使)」に抜擢。麻生太郎総理のもと、日本が「クールジャパン」を強く打ち出していた時代だ。
青木さんは日本のポップカルチャーを世界へ発信する立場として、25カ国45都市を歴訪した。
「渡航先では、日本発祥の文化としてロリータファッションを着こなす人たちが、たくさんいました。それでも、国内の一部では『ヨーロッパ発』という誤解があり、ファッションの一部ではなくコスプレと捉えられるのも悔しかったです」
自分がロリータファッションを「広める存在」になれれば。青木さんの覚悟は決まった。
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