大澤美恵さんは2002年に2歳、7歳、8歳の3人のお子さんを連れてマレーシアに母子で移住した。今年で14年目となる。
愛知県豊橋市出身で22歳のとき、オーストラリアに渡ったことがある。語学研修とワーキングホリデーで2年を過ごし、現地の教育事情を見る機会があった。
まだ独身だった大澤さんは「もし将来結婚して子供ができたら、オーストラリアのようなのびのびとした教育環境で子供を育てたい」と考えたという。
日本へ帰国後は大学職員、英語講師などを歴任し、結婚。しばらくは、日常の忙しさに紛れて、その気持ちも忘れかけていった。
子供ができたころ、ちょうど日本がバブルの崩壊に直面。昔思い描いていた海外での子育てを真剣に考えはじめた。
「バブルの崩壊で、日本はこれから厳しくなると直感的に思いました。子供は早くから海外へ連れて行き、語学、国際感覚を身に付けるのがいいだろうと。主人も賛成してくれました。はじめは家族での移住を考え、いろいろな国を調べました」
中、英、日のトリリンガルを目指しマレーシアを選択
もともとは自分が住んでいたオーストラリア、ニュージーランドなど英語圏の国が第一希望だった。ところが調べてみると費用が高い。そこでマレーシアが浮上してきた。日本から近く、比較的英語が通じるらしい。
マレーシアに行ったことはなかったが、調べてみると、多民族国家で中国語も話されていることがわかった。
大澤さんは、大学職員時代、大学が招致した中国人の先生や留学生との交流の中で、中国語に興味を持った。子供たちと市民講座中国語クラスに参加したこともある。中国語習得は必ず将来役立つだろうと思い、これがひとつの決め手になった。
2001年、次女を連れて下見のために始めてマレーシアを訪れる。日本から連絡を取り合っていた現地マレーシア人のエージェントに会ったのだが「この方との出会いがすばらしいもので、今でも交流を続けています」と大澤さんは話す。彼のおかげもあり、マレーシアを気に入り「ここに住んでみたい」と思った。「当時のクアラルンプールはまだ今ほど開発されておらず、都会と田舎が混沌する面白い世界が気に入りました」
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