さっそく移住を決め、長期滞在ビザを申請。当時はまだ留学目的で来ている日本人は少なかった。リタイア組のロングステイが徐々に増え始めた時期だった。業者には、「子連れでビザを申請する人は弊社では初めてですよ」と言われたという。
「10歳前後で言語を取得する能力が衰えるという話を聞いていたので、できたら長女が10歳までに海外に連れて行きたいと思っていました」と大澤さん。当時、夫は賛成してくれたものの、親戚などからの反対はなかったのか。
「両親は、私の性格に慣れていたので、多少驚いたもの、特に反対はしなかったのです。主人の母も夫婦間で決めたことだからと言って反対しませんでした。結局主人を日本に残していくことになりましたが、周りの反対はなくラッキーでした」。
子どもたちは、現地の小さいインターナショナルスクールに通い始める。数カ月後に学校運営に疑問を持ち、別のインターナショナルスクールに転校するが、その学校は3人とも楽しく通っていたという。
一方で、日本語学習のことも考えた。
大澤家は、長女が小学校2年生終了時、長男が1年生終了時、そして次女は日本語教育ゼロの状態でマレーシアに来た。しかしマレーシアには日本語の補習校がない。そこで家では日本語の会話に徹し、日本語習得には国語の問題集を使っていたが、長女と長男は学校の勉強で忙しくだんだんやらなくなった。
「それでも、小さい頃から続けてきた読み聞かせが功を奏し、長女、長男は本が好きで日本の漫画、本などを読むようになりました。また日本のドラマ、アニメからも日本語が入っていきました」
当時、知り合いも伝手もゼロだったという大澤さん。 日本人会をはじめとして、あちこちに足を踏み入れて、人間関係を作っていった。娘達は日本人会のガールスカウトに入り、日本人の友人ができ日本語の会話を話す機会を得た。大澤さん自身もリーダーとしてガールスカウト活動に子供たちと携わってきた。
授業料の値上げをきっかけに台湾学校に転校
最初は家族での移住を考えていた大澤さん一家。夫も一時、マレーシアにやってきて求職活動をしたが、じき断念。本腰を入れて母子で生活しようと決めた。
2006年、通っていたインターナショナルスクールが姉妹校開校のため、突然授業料を1.5倍に値上げすることになった。それをきっかけに、知人の子供たちが通っていた台湾学校に転校することになった。「ここで中国語の習得を、と考えていた道が開けました」と大澤さんは話す。
台湾学校では全授業が中国語で行われる。先生は台湾人。しかしネイティブの先生による英語の授業も毎日あり、英語力もつけることができた。生徒は台湾人のほかには、片親がヨーロッパ、オーストラリア人の生徒がいた。韓国人生徒も多かった。
「好奇心の強い長女は、新しい学校生活に積極的で、毎晩学校に通い、寮生達と図書館で勉強しました。外国人生徒の為の補修クラスも用意されていたので、数カ月でクラスについていけるようになりました。一方おっとり型の長男は、最初交友関係や中国語の授業になかなかなじめなかったのですが、周りの優しい友人たちの積極的なかかわりのおかげで中国語が少しずつ話せるようになり、親しい友人がたくさんできた。次女は小学校1年から台湾学校で勉強を始めたので、彼女の中国語はほぼ台湾人に近いです」と大澤さんは当時を解説する。
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