民意無視・タイ"野合政権"を成立させた密約とは 第1党が組閣できず民意は置き去り、生き残る大麻

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私は総選挙9日後の5月23日、「タイ総選挙が浮き彫りにした大麻・王室・タクシン」で「前進党のピター党首が首相就任に意欲を見せているものの、政権に至る道筋は描き切れていない」としたうえで「国民からノーを突き付けられた親軍政党を中心とした勢力が、政権の座に居座るシナリオも残されている。

国民の負託に応える政権は誕生するのか。複雑な連立の方程式を解くキーワードは『大麻』『王室』『タクシン』である」と書いた。

大麻推進の名誉党がキャスティングボート

実際に、前進党の掲げた政策のうち王党派から最も強い反発を受けたのが、「王室」改革につながる不敬罪の改正だった。「タクシン」氏は帰国後、国王に恩赦を願い出て聞き入れられた。

選挙で大きな争点になっていないようにみえた「大麻」についても、街にあふれる大麻販売店の規制を公約していた前進党に対して、解禁を推し進めてきた旧与党のタイ名誉党が強く反発し、前進党が加わる限り連立政権に参加しないと表明していた。

結果的に「王室」改革阻止と並んで「大麻」政策維持が、前進党外しと親軍政党を含めた連立につながった。名誉党のアヌティン党首は予想通りキャスティングボートを握るジョーカーとなり、副首相兼内相のポストを得た。大麻販売店や生産業者らは胸をなでおろしている。

セター氏の首相就任が決まった8月22日の指名投票の数時間前にタクシン氏はプライベートジェットでバンコクのドンムアン空港に到着、家族や支持者らの出迎えを受けた。

8月22日、長らくの亡命生活からタイに帰国したタクシン・チナワット元首相(左から2番目)。汚職事件などで禁錮10年の刑期が下されたが、この日、8年に減刑された(写真・2023 Bloomberg Finance LP)

警察に身柄を拘束されたものの、高血圧など健康状態を理由に収監先のバンコクの刑務所から警察病院の特別棟に移送された。汚職などの罪で確定していた禁錮10年の刑期は最高裁により8年に減刑された。

8月31日にワチラロンコン国王に恩赦を申請、同日付でこれが認められ、禁錮1年に減刑された。刑期のさらなる短縮を求めて再び恩赦を願い出たり、自宅軟禁に移されたりする可能性が高いとみられている。

官報に記載された恩赦の理由は「首相を務めて国と国民に貢献したこと、王室に忠誠心があり、罪を認めて判決を受け入れていること、高齢で健康に問題があり医療が必要なこと」などだ。

王党派は仇敵タクシン氏の帰国、恩赦を受け入れる代わりに、前進党を排除し、親軍政党を政権に参画させる。そうした妥協、あるいは密約がタクシン・プアタイ側との間で成立した。それが国民の共通理解であろう。

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