75点を取った後に「伸びる子」「伸びない子」決定差 大人になって「頭がいい」と言われる人の本質
学校で学ぶ内容のほとんどには「答え」が用意されています。テストだって同じです。答えのないテストなんてありません。
でも、あなたが学校を卒業して社会に出たら、「答えのない問い」を考え続けなくてはなりません。そもそも「問い」がないことだって、いくらでもあります。あなたは、そこに「新たな問い」を設定して、その答えを手探りで探していくのです。
本当の意味での「考える」とは、自ら問いを発して答えを探し出すことです。学校での勉強は、自分の頭で考えるための“訓練”のようなものなのです。
他者からの評価に一喜一憂しない
勉強とは本来、「できたらもっとやってみたくなるもの」「わかったらうれしくなるもの」です。その証拠に、まさに好奇心の塊であるかのような赤ちゃんは皆、自分の身のまわりの対象からさまざまなことを学んでいくのが大好きです。
ところが子どもは、学校に入り学年が進むにつれて、勉強が“能力を測るモノサシ”として使われ、測定された数値だけで自分の将来が決まるかのように感じてしまうようになります。
勉強に関わる評価基準は、テストの点数や通知表、偏差値など、さまざまあります。これらは「現時点の到達段階を測る腕試し」のようなものですが、これに先生や学校、保護者といった「他者からの評価」という意識が加わってしまうと、とたんに勉強が「よい評価をされるためのもの」になってしまいます。
でも、そんな評価に一喜一憂するのはすぐにやめるべきです。テストや通知表による評価は、あくまでその時点での結果であって、その後の自分の人生を決めるものではないからです。
「間違えた問題」にこそ意味があると考える
評価をあまり気にせず、楽しみながら勉強をしている人に共通しているのは、間違えた問題を夢中になって解き直している点です。「自分が間違えた理由がわかるのがうれしい」のです。
例えばテストで75点を取ったとき、「100点を取れなかった。自分はダメだ」と責めるのではなく、「残りの25点にこそ意味がある」と考えるようにする。つまり、結果だけを見るのではなく、「考える過程を見る」ということです。
間違えた原因や弱点を明らかにして、どう解決していくかを考えるようになれば、あなたにとって勉強はもっと実りあるものになるはずです。
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