――安倍首相は、8月に第二次世界大戦に関して自分の声明を出す際に、村山談話の主要な文言を用いるつもりがない旨をすでに表明しています。来る声明が日本と近隣国を少しも和解に近づけないで、関係をさらに悪化させるかもしれないことを懸念していますか。
サンド: ダデンさんと私は異なる専門からこの問題に関わっていますから、その質問は彼女にする方が適切でしょう。政治や戦争の記憶と謝罪は彼女の中心的な研究課題で、執筆テーマです。私の方は、日本政府には和解に向けて方針を変える大きな力があることを当然、信じています。しかし、外交問題の専門ではありませんし、声明の作成では「交換手」の役割を演じたいと思いました。深く関わっていないからこそ、学者仲間の常識を伝える経路になって意見をまとめることができるかもしれないと考えたからです。
ダデン: 私の見たところ、現在の日本政府は言葉を弄し、実際に起こったこと、前進するために述べる必要があることから関心を逸らす腹であるように思われます。この非常に重要な節目の年に、過去70年間にわたって平和的かつ人権を尊重して行動してきた国の指導者が、第二次世界大戦中、アジアで起こったことに関するむしろ常識的な意見に反対していることにはがっかりします。
――1995年の談話において村山首相は「日本は独善的な民族主義を排除しなければならない」と述べています。
サンド: 私たちは、日本で影響力を持っている著名な政治学者数人とも連絡を取りました。彼らはこの声明に署名しませんでしたが、他の経路を通してこの問題に関わっています。そして「こうした種類の民族主義が放置されていることが日本にとってどれだけ有害かを日本政府に伝えて欲しい」との意見はよく聞きました。ごく当然のことに思われます。
読売新聞に独占配信するつもりだった
――2人の間には意見の相違があると主張する論評がかなりの注目を集めました。つまりダデン教授が声明をはっきり反日的な意味合いで解釈している一方、サンド教授は客観的な態度を保持しているという主張です。
ダデン: 私たちの間に意見の相違はありません。意見の相違があるなど、誰が言ったにせよ完全な誤解です。
サンド: 最終版を送付したのはダデンさんと私の2人です。自分たちをどう呼ぶかが問題になりました。私は、2人の共同調整役あるいは呼びかけ人としてはどうかと提案しました。私たちはアジア研究協会で部屋を手配し、30人程度で草案作成するためにメールの連絡を担ったのです。期限を決め、参加者全員に最終決定をしてもらいました。それから、声明を送付しました。
でも、これら全ては、187人の署名者の代表者としての役割とも、スポークスパーソンとしての役割とも違います。ダデンさんはこのテーマに関して公の場に何度も出ています。彼女のメールの受信トレーはメッセージで一杯になり、その多くが敵意に満ちたものです。
声明は、多くの点で日本語版の方が重要なことが分かりました。つまり、より多くの人が読んでいるということです。そこで日本語版については、早稲田大学の浅野豊美さんと私が共同で翻訳しました。浅野さんはとても熱心に取り組み、美しい日本語にしてくれました。声明はメディアに行き渡り、数カ所では全文が掲載されました。メディアの報道は誤っていることもあれば、適切なこともありました。
ダデン: 内閣府には敬意をもって、両方の言語の声明を送付しました。当初、この声明は読売新聞に独占ベースで提供したのですが、返事がありませんでした。
そのため、机の上に名刺があった10人程度に声明を送りました。そのほとんどが日本のレポーターでした。「ニューヨークタイムズ」と「ワシントンポスト」に送付し、ブルームバーグ社と韓国の通信社である聯合ニュースにも送付しました。聯合ニュースのレポーターは、1週間前にあった会議で一緒に働いた方です。
その後、私は「韓国支持者」にされ、サンドさんを「操っている」ことにされてしまいました。率直にいって馬鹿げています。日本の何人かの評論家は聯合ニュースの特電を引用しました。私が声明を後押ししたリーダーだと自分で主張しているのではないか、という内容でした。そんなことは言っていません。聯合ニュースのレポーターがそのように書いたのです。
これまで説明してきたように、私はリーダーの一人ではありますが、多くのリーダーたちの一人です。どうしたことか、日本をおとしめる目的で私が率いて声明を後押したという意見が唱えられている論評もありました。しかし、声明は日本の内部で1年以上にわたって起こっていることに対するものです。私は「反日」のレッテルを貼られましたが、もちろんそうではありません。でも、そのレッテルから身を守ることはとても困難です。
声明は私の問題でも、サンドさんの問題でも、他の個人の問題でもありません。非常に有名な者を含む187人の学者が関わって、彼らは、この「慰安婦」という歴史問題に対する日本の憂慮すべき傾向について懸念を共有しているのです。
日本は開かれた社会です。私たちは生産的なやり方で議論に加わることを望んでいます。日本の内側に議論が起こらないのであれば、何も始まりません。
サンド: 私たちはこれまでに出たどのようなコメントにも囚われていません。メディアが24時間刻一刻と動いている時代に生きていることは分かっています。送ったのがゴールデンウィークだったために、送り先で多くの人たちは見ていなかったかもしれません。小林よしのりさんがすでに始めているように、今週(注:取材日は5月11日)は「中傷の週」になるかもしれません。
私たちは皆が強く感じていることについて共同で意見を表明しました。私たちは歴史家です。時間を置いて、この声明が人々に訴えかけることになるか、ならないかを見る事になります。声明を巡って表明された否定的な意見はその日のニュースの一部にすぎません。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら