「187人声明」は、"反日"でも"反韓"でもない 実現しなかった「読売新聞への独占提供」

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――サンド教授に伺います。「風潮」とおっしゃいましたが、それは何なのか、もう少し補足していただけますか。

サンド: 具体的にお話ししましょう。声明は5月5日に公表したので、安倍首相による4月下旬の訪米に応えて作成したものであるかのような印象を与えたと思います。しかし、私は昨年来、何らかの意見をまとめることを考えていました。その当時は、安倍首相が米国を訪問することを知りませんでした。

米国の学者の多くが、ジャーナリストに対する脅迫が起きているとの報道に困惑し、日本にいる研究仲間は政府の財政援助を受けるために、ある種の問題を扱えない、と言っていることを聞きました。日本の政治の世界において、「慰安婦」制度の犠牲者に対して無神経な意見を頻繁に聞くようにもなっていました。

私を含む多くの者にとって、それは奇妙な議論に思われました。友人として、仲間として意見を述べるときが来た、と思ったのです。学者でない日本の多くの友人たちもまた、いわゆる「謝罪疲れ」を強く感じていることに気づいたことも述べておきましょう。私にとってよい友人たちです。彼らは、とにかく問題の全部が過ぎ去って欲しいと願っているのです。ここは一歩離れて、未解決なのだから問題は過ぎ去っていない、と述べることが大切だと考えました。

以上が私の考えです。こうした考えのもと、私たち数人は、この問題を議論するために、シカゴで3月26~29日に開催するアジア研究協会の年次大会の際に集まることにしました。

大会の数週間前に、アジア研究協会の大会においてこの問題をどのように取り上げるべきか考えながら日本を訪問しました。日本では、中堅の重要な知識人でも「この世代の米国人日本研究者は反日」と見当違いな意見を述べたり、真面目な研究者や新聞をあざ笑ったりしていることに改めて驚かされました。「日本がこの種の考え方の温床になってしまったのか」と思いました。

日本は非常にコスモポリタンな国です。彼らの発言を聞いたことで、横柄に見えるリスクを冒したとしても、外部から新鮮な空気を入れなければならないという気持ちが強まりました。

慰安婦問題への発言に強い締め付け

ダデン: 私たちは、憂慮すべき状況に気づいている、多様な専門分野からの187人の学者たちに集まってもらうことができました。「慰安婦」問題の最近の発言の多くは、強い締めつけを受けています。上からの完全な検閲ではありません。むしろ、日本において、許容されると考えられる発言の範囲が狭まっているようなのです。

多くの人たちが、問題の責任の全部が「他方」、つまり中国や韓国にあるのではない、という事実を見失っています。日本は「十分なことをやった」という考えが浸透しています。そのため、最近は日本の政策に対する非常に控えめな批判でさえ、「中国びいき」または「韓国びいき」と取られてしまいます。日本の政界内部では、中国や韓国と真に交流したいと望む者は、政治の場にいながら、日本の政策目標を設定する協議の場からは遠く離れています。これが最近の情勢で、そのため日本を地域のリーダーとして考えることが難しくなっています。

地域のほとんどが、開かれた社会としての日本に期待しています。日本で許容される議論の範囲がさらに狭くなれば、地域のリーダーという日本の目標は、さらに実現が難しくなると思います。私たちは、できるだけ目立たないように活動することを目指しました。

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