何のツテもなく海を渡った青年が、現地の日本人の方々に世話していただけた幸運を、いま河江さんは感謝の気持ちを持ってしみじみと語ります。
河江さんはこうして、19歳から20代前半にかけて、仕事をしながらアフリカを回っていました。
「5日間、または10日間のツアーに参加してガイドの仕事をしていました。エジプトのカイロから南のほうを回ってまたカイロに帰ってくるといったツアーが多くて、それが月に2~3本ほどあったんです。それを続けているうちに、貯金が貯まっていきました」
日本人がもっとも利用する旅行社であった『バヒ・トラベルエージェンシー』で精力的に働いていた河江さん。その会社にいるときにとても親身になって世話をして下さったのが、日本人ゼネラルマネジャーだった中野正道さんと、妻の眞由美さんでした。
大学に行くアドバイスをもらう
中野さんご夫妻は、最初こそ19歳の青年にガイドの仕事が務まるか不安に思っていたようですが、河江さんが仕事の休みを使って遺跡を回りながら熱心に勉強をしている様子を見て、大学で学ぶことを提案しました。
「24~25歳のとき、『まだ若いから、大学でより深い知識を得てエジプトに貢献してほしい』という理由で、国内で唯一エジプト学が学べるカイロ・アメリカン大学に行ったらどうだという話をいただきました。心のどこかでずっと大学に行って勉強をしたいという思いはあったのですが、しばらくは『自分は本当に勉強に向いているのか』と悩んだまま行動に移せず、なかなか気持ちが入らなかったですね」
日本に戻って武道をやる選択肢も考えていたそうですが、勉強に対する心残りがあったこともあり、受験をすることを決意したそうです。
こうして河江さんは、20代半ばに突入してから、真剣に英語の勉強に取り組むことになります。
「私が目指したカイロ・アメリカン大学はTOEFLで550点が必要でした。ガイドの仕事で生計を立てながら、空いた時間に勉強をしていたのですが、最初に受けた25歳のときはまったく点数が足りませんでした。
それで26歳の年はより熱を入れて勉強して、530~540点くらいの少し足りないくらいの点数を取れました。本来なら不合格なのですが、大学に指定された語学学校に通えば仮入学できるという『条件付き入学』のシステムがあって、なんとかそれで大学に入ることができました」
9月に大学に仮入学し、12月まで語学学校の集中講座を受講して修了した河江さんは、無事、カイロ・アメリカン大学に入学することができました。
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