稲盛和夫さんが「利他」の心を常に問い続けた理由 KDDIとauの成功は「世のため人のため」に導かれた
携帯電話事業(現在のau)を始めたときも、似たような経験をしました。DDIの事業を始めたときから、私は携帯電話市場の将来性を確信しており、その普及が国民の生活の利便におおいに寄与するであろうと考えてきました。そこで同事業への参入も図ったのですが、ここにも大きな問題が出てきました。
DDIに続いてもう1社が参入に名乗りを上げたのです。周波数の関係から、同じ地域ではNTT以外には1社しか営業できないという制約があったため、新参の2社で事業区域を2つに分けなくてはならなくなってしまいました。
損して得とれ、負けて勝つ
事業の収益性を考えれば、どっちも人口の集中する首都圏区域が欲しいから、なかなか合意が成立しません。私は公平に抽選で決めればいいと提案しましたが、これほどの事業をクジ引きで決めるとは不謹慎だと、当時の郵政省からたしなめられてしまいました。
しかし、このままいつまでも先の見えない綱引きをしていては、らちが明かない。ここで一方が譲らなければ、移動体通信事業そのものが日本に根づかなくなってしまうかもしれない――そう考えた私は、首都圏と中部圏という、もっとも大きな市場を相手に譲って、自分たちはその残りの地域を取ることにしました。
不利な条件を自ら申し出たかたちになり、DDIの役員会では、まんじゅうのアンコは相手にやって、こっちは皮だけ食うつもりかとあきれられましたが、私は損して得とれ、負けて勝つという言葉もある。みんなでがんばってまんじゅうの皮を黄金の皮にしようと説得して、何とか事業をスタートさせたのです。
けれども、いざ事業を開始してみれば、予想に反してわれわれの業績はどんどん伸びていきました。現在ではauとなってNTTドコモとしのぎを削っているのは、ご存じのとおりです。
DDIとauの成功は、世のため人のために役立ちたいという考え方が天祐(てんゆう)を招いたものであり、動機善であれば、かならずや事はなるということの証明にほかならない。私はそう考えています。
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