稲盛和夫さんが「利他」の心を常に問い続けた理由 KDDIとauの成功は「世のため人のため」に導かれた

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それは、その女性がけっして豊かな暮らしをしているようには見えないにもかかわらず、一介の修行僧に500円を喜捨することに、何のためらいも見せず、またいっぺんの驕りも感じさせなかったからです。その美しい心は、私がそれまでの65年間で感じたことがないくらい、新鮮で純粋なものでした。私は、その女性の自然な慈悲の行を通じて、たしかに神仏の愛にふれえたと実感できたのです。

おのれのことは脇に置いて、まず他人を思いやる、あたたかな心の発露――あのご婦人の行為はささやかなものではありましたが、それだけに人間の思いと行いのうちの最善のものを示していたように思えます。その自然の徳行が、私に「利他の心」の真髄を教えてくれたのです。

「利他」の心とは、仏教でいう「他に善(よ)かれかし」という慈悲の心、キリスト教でいう愛のことです。もっとシンプルに表現するなら「世のため、人のために尽くす」ということ。人生を歩んでいくうえで、また私のような企業人であれば会社を経営していくうえで欠かすことのできないキーワードであると私は思っています。

ささやかな利他行が大きな規模の利他へと地続きに

利他というと何かたいそうな響きがあります。しかし、それは少しもだいそれたものではありません。子どもにおいしいものを食べさせてやりたい、女房の喜ぶ顔が見たい、苦労をかけた親に楽をさせてあげたい。そのように周囲の人たちを思いやる小さな心がけが、すでに利他行なのです。

家族のために働く、友人を助ける、親孝行をする……そうしたつつましく、ささやかな利他行が、やがて社会のため、国のため、世界のためといった大きな規模の利他へと地続きになっていく。その意味では、私に500円玉を施してくれたご婦人とマザー・テレサの間に、本質的な差はありません。

人間はもともと、世のため人のために何かをしたいという善の気持ちを備えているものです。昨今でも、たとえば手弁当で災害地にかけつけるボランティアの若者が数多くいるという話などを聞くと、利他というのは、人間がもつ自然な心の働きだという思いを強くします。

人間の心がより深い、清らかな至福感に満たされるのは、けっしてエゴを満たしたときでなく、利他を満たしたときであるというのは、多くの人が同意してくれることでしょう。

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