稲盛和夫さんが「利他」の心を常に問い続けた理由 KDDIとauの成功は「世のため人のため」に導かれた
また賢明な人は、そのように他人のために尽くすことが、他人の利だけにとどまらず、めぐりめぐって自分も利することにも気づいているものです。
毎夜自らの心に問いかけた新規事業参入の動機
利他という「徳」は、困難を打ち破り、成功を呼ぶ強い原動力になる。そのことを、私は電気通信事業へ参入したときに体験しました。
いまではいくつかの企業が競合するのが常態となっていますが、1980年代半ばまでは、国営事業である電電公社が通信分野のビジネスを独占していました。そこへ「健全な競争原理」を持ち込んで、諸外国に比べてひどく割高な通信料金を引き下げるべく自由化が決定されました。
それに伴って電電公社はNTTへと民営化され、同時に電気通信事業への新規参入も可能になったのですが、それまで一手に事業を独占していた巨人に戦いをいどむわけですから、恐れをなしたのか、新規参入しようという企業がいっこうに現れません。このままでは官が民に変わったのも名ばかりで、健全な競争は起こらず、料金の値下げによって国民が恩恵を受けることはできなくなります。
それならばオレがやってやろうかという思いが、私の中に頭をもたげてきました。ベンチャー企業から身を起こしてきた京セラこそ、そのようなチャレンジにふさわしいのではないかと考えたのです。
相手がNTTでは巨象にアリの不利な戦いであり、しかも業種が違う私たちにとってはまったく未知の分野である。けれども、そのまま傍観していたのでは競争原理が働かず、料金値下げという国民にとってのメリットは絵に描いた餅に終わってしまう。ここはドン・キホーテを承知で私が手をあげるしかない。
しかし、私はすぐに名乗りを上げることはしなかった。というのも、そのとき私は、参入の動機に私心が混じっていないかを、自分に厳しく問うていたからです。
参入を意図してからというもの、就寝前のひとときに毎晩欠かさず、「おまえが電気通信事業に乗り出そうとするのは、ほんとうに国民のためを思ってのことか。会社や自分の利益を図ろうとする私心がそこに混じっていないか。あるいは、世間からよく見られたいというスタンドプレーではないか。その動機は一点の曇りもない純粋なものか……」
という自問自答を私はくり返しました。すなわち「動機善なりや、私心なかりしか」――ということを、何度も何度も自分の胸に問うては、その動機の真偽を自分に問いつづけたのです。