稲盛和夫さんが「利他」の心を常に問い続けた理由 KDDIとauの成功は「世のため人のため」に導かれた
そして半年後、ようやく自分の心の中には少しも邪(よこしま)なものはないことを確信し、DDI(現・KDDI)の設立に踏み切ったのです。
フタを開けてみると、他にも2社が名乗りを上げましたが、そのなかでは、京セラを母体にしたDDIがもっとも不利だという前評判でした。無理もありません。私たちには通信事業の経験や技術がなく、通信ケーブルやアンテナなどのインフラも一から構築しなければならず、さらには販売代理店網もゼロという大きなハンデを抱えていたからです。
世のため人のためなら、すすんで損をしてみる
しかし、そのないないづくしの逆境をものともせず、DDIは営業開始直後から新規参入組のなかで、つねにトップの業績を上げて先頭を走りつづけることができました。その理由を当時もいまも、人から尋ねられることが少なくありません。それに対して私の答えは1つ。国民のために役に立ちたいという私心なき動機がもたらした、ということしかありません。
DDIの創業当時から私は、「国民のために長距離電話料金を安くしよう」「たった一回しかない人生を意義あるものにしよう」「いまわれわれは百年に一度あるかないかという大きなチャンスを与えられている。その機会に恵まれたことに感謝し、このチャンスを活かそう」とことあるごとに従業員に訴えつづけてきました。
そのためDDIでは、従業員全員が自分たちの利益ではなく、国民のために役立つ仕事をするという純粋な志を共有するようになり、心からこの事業の成功を願い、懸命に仕事に打ち込んでくれた。それによって代理店の方々の応援も得られ、ひいては広範なお客さまの支持を獲得することもできたのです。
DDIの創業後しばらくして、私は一般の従業員にも額面で株式を購入できる機会を与えました。DDIが成長発展を重ね、いずれ上場を果たしたときに、キャピタルゲインをもって従業員の懸命の努力に報い、また私からの感謝の思いを表したいと考えたからです。
その一方、創業者である私自身は、もっとも多くの株式を持つことも可能であったわけですが、実際には一株も持つことはありませんでした。それはDDIの創業にあたり、いっさいの私心もはさんではならないと考えていたからです。
もし私がそのとき一株でも持っていたら、やっぱり金儲けのためかといわれても反論できなかったでしょう。また、DDIのその後の足どりも、また違ったものになったにちがいありません。