私たちは出口のないトンネルの中で、後ろの扉を閉ざされて手探りで歩いている。この気持ちがわかるか--東電幹部・飯舘村説明会での一問一答
私ら、酪農家は投資、投資で来ている。牛で得た収入はすべて支払いに回している。餌代、機械代だ。だから生活費などなかった。ガソリン、水を買うにしても、現金だ。本当に一銭もない苦しさの中で、自分の兄弟しか頼れる人はいなかった。だから、一刻も早く、ここ1カ月、2カ月なんて、とんでもない。東電のみなさん、ずっと飯舘村にいたらどうか。
家にいれば大丈夫というが、私ら、牛の仕事をするために屋外に出る。雨に当たりながらだ。洗えば大丈夫だと言うが、汚染された水で顔を洗っても気持ちがいいものではない。
従業員をきちんと面倒見て、補償をきちんとしてもらえば、私は文句はない。それから、もう原発はこれ以上作ってほしくない。
質問者13(男性) 大きなリスクを私たち住民は、あなたたちの原発によって負ってしまった。そのことをまず、国の責任とか、計画的避難という対応の問題にすり替えないでほしい。それから、支払い問題だが、説明の文面に「あとで精算します」とある。常識的に言うと、あとで精算しますというのは、普通、さらに加算されるという前提であれば、このような書き方はしない。追加払いはあとでしますというのが通常だ。
一世帯当たり100万円という金額は、あとで精算するという金額だと感じているのか。
私たちは、経済的な損失・被害、肉体的、精神的な被害、そういうもののすべてを償ってもらいたいと思っている。
さらに、私は農業をやっているが、資産的な損害、たとえば、農地についていえば、私たちは100万円以上のお金を使って、一反歩の畑を作った。それが放射能に汚染されたことによって、どれだけの損害を受けているのかということを考えたら、何千万円でも足りないのではないか。その意味からすれば、わずかばかりのお金でも当面、私どもは確かに苦しい生活の中だから、助かるかもしれない。しかし、そればかりのお金で、あたかも精算できるというような考え方はしないでもらいたい。これを強く申し上げる。
私どもは今、大人も子供も大きなリスクの中で、この村に生きている。そのことをよくわかってもらいたい。
東電 村民のみなさんが大きなリスクを負っている。大変に申し訳ないと思っている。あとで、精算という言葉だが、拙い表現で恐縮である。あくまでも「仮の支払い」で、被害がまだ続くという中で、全体の被害が違っているというなかで支払うということで、そういう言葉を使った。肉体的、精神的、資産的なものについては、国の指針が出てくる中で、誠意をもって受け止めていきたいと思う。理解を求めたい。
質問者13 補償について、責任のある者の発言がまだ補償の具体的な段階に入らない中で、免責条項を云々などと言うのは、非常に、被害者に対する加害者としての不遜な態度であると私は思う。
質問者14(女性) 私は15歳である。3月11日、飯舘中学校を卒業し、川俣の高校に進学したが、同じ川俣高校に進学が決まった仲間も、遠くの方に転校していった。なぜか。地震だけならば飯舘村でも普通に居ることができた。原発が爆発したせいで、みんな、ばらはらになった。近くの高校だから、たまにも遊ぼうと約束した友達も原発の爆発で、大阪に行ってしまった。そして、同じ高校に行った地元の友達と「なぜ、爆発したのか」という話をした。
私たち、子供たちが考えたなかでの、一番の原因としては、防波堤の高さだったと思う。なぜ、防波堤を高くしなかったのか。
風評被害ですが、私もこの先、福島県外に引っ越ししなければならないと言われたとき、きっと、風評被害でいじめられることが想定できる。私は、そんなことに耐えられない。このことをどうにかしてもらえないのか。
学校の入学費、制服代などにけっこうなお金がかかっている。さらに転校などとなったら、もっとお金がかかる。その辺の補償もきちんと考えているのか。
私は結婚して子供を産む気持ちでいる。たとえば、被曝しているとして、将来子供が産めなくなったら、それも補償してくれるのか。
私の友達は、浜のほうに進学が決まったが、原発のせいでサテライト方式になり、学校行事などできなくなったと悲しんでいる。これはどうなるのか。