1972年騒音規制法は、ある程度静かな環境への権利をアメリカ人に与えることを目指していた。
この法律によって新設されたのが連邦の騒音対策局(ONAC)で、騒音公害を緩和するために、騒音抑制の研究を調整したり、製品の騒音発生に対する連邦基準を広めたり、州政府や地方自治体――特に、都市の中心部の自治体――に助成金や技術的支援を提供したりする権限を持っていた。
ONACは飛行機と列車の騒音を規制する権限は与えられていなかったが、社会啓発活動を主導し、こうした課題への認識を高め、最終的には、空港や航空会社や運送業者に真剣な騒音対策の実施を促すことができた。
1970年代には、騒音が健康に与える影響を、依然として疑う向きもあった。製造業界や公共輸送当局をはじめ、利益団体が、義務的な騒音規制に反対したが、政府はそうした規制を推し進めた。
1968年、公衆衛生局長官のウィリアム・H・スチュワートは、騒音緩和の動きを支持する意見を表明し、「因果関係の鎖の環を1つ残らず証明しおわるまで待たなければならないのだろうか?」と問うた。そして、こう続けた。「健康を守るときには、絶対的な証拠は後回しだ。証拠を待っていたら、惨事を招いたり、無用の苦しみを長引かせたりすることになる」
ロナルド・レーガン政権は、1982年に反規制政策の一環として、騒音抑制プログラムの予算を取り消して、このプログラムを廃止した。それでもなおONACは、人の真のウェルビーイングを優先する予防的公共政策の称賛すべき例であり続けている。
人間の注意という価値を擁護する
ニクソン時代の騒音管理体制は、アメリカの政府では――いや、それを言うならほとんどの政府でも――今なおおおむね前代未聞の考え方に基づいている。すなわち、人間の純粋な注意には固有の価値があり、社会にとってこの価値を支持・擁護することは、必要不可欠の利益である、という考え方だ。
ニクソンの騒音改革の話は、まさに今、おおいに意義がある。
オンラインのプラットフォームとそのプロプライエタリー・アルゴリズム〔訳注 入手、利用、複製などに関して、法的手段や技術的手段で制限が設けられているアルゴリズム〕が経済と公の議論でますます大きな役割を果たすなか、人間の注意にまつわる政策をめぐって激論が戦わされている。