イエズス会の修練者、サイラス・ハビブは、「意識の究明の祈り」というイエズス会の修練について語ってくれた。それは、夜に時間を取り、それまでの1日に起こったことをすべて思い返し、自分が恩寵(おんちょう)やつながりを感じたときのことを振り返る、というものだ。
本書の共著者のジャスティンは、ときどきその1バージョンをやり、1日のうちに安らかな静けさを感じたときについて考え、意識の移ろいゆく特性を調べてきた。
静寂の聖域は単純であるべき
聖域は単純であるべきだ。ストレッチングをしたり、入浴したり、ジャーナリング〔訳注 頭に浮かんだことをそのまま書き出すこと。「書く瞑想」とも言われることがある〕をしたり、テラスに座ったり、床に寝そべったり、その他、くつろいだ、静かなあり方を見つけたりするための、物理的な空間を作り出そう。
カレンダーにも空白を作ろう。少しだけ早起きしたり、夜の時間を空けておいたりして、意図的に「空っぽにする」時間に充てる。実際にその時間を自分のために過ごす。大切な同僚や仲の良い友人と会うかのように、その約束を守る。
早起きの人と夜更かしの人は正反対だと思われがちだ。だが、両者はともに、1日のうちの静かな時間帯、外部からの要求がない時間帯の真価を理解している。
詩人や求道者は、昔から、「午前4時の静けさ」の持つ、境界としての特性を称賛していた。
ミシェルにとっては、時間と空間におけるこれらの聖域、特に朝に確保しておく時間帯は、ホワイトハウス時代にも、スタートアップを築き上げている現在も、どれほど効果をあげるかの決め手だった。
彼女はこの聖域で自分の信条を確認する。「静けさを経験し、静寂の修練をすることが、これまでずっと、厳しい状況で知恵を絞り出す能力を磨くのに不可欠でした」と彼女は語った。
「そして、成果をあげる戦略を生み出すのにも。特に、自分が世の中で創出したい善に対して不利な状況のときには」
(翻訳:柴田裕之)
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