本書の共著者であるジャスティンは、この種の呼吸法の練習――体に目一杯酸素を取り入れ、それから1、2分、すべてを状況に委ねる――をするときには、思いがけないほど豊かな内部の静寂を感じる場所に行き着けることがある。
それはほんの束の間、何であれ――呼吸をすることさえ――しなくてはならないという責任を放棄するようなものだ。喘(あえ)ぐことなく最低でも30秒間、その静かな空間にとどまるためには、ジャスティンはやかましい思考を行うことができない。
心を過去や未来にさまよわせることができない。現在にとどまらざるをえない。そうしないと、脱線してくどくどと考える状態に戻ってしまったことを、横隔膜反射が自動的にフィードバックしてくれる。
静寂を見出すための即時的・直接的な方法
内部の静寂は、このエクササイズをするための前提条件なのだ。静けさのために意識を訓練する、さまざまな強度のヨガの呼吸法の練習は、何十種類もある。
インストラクターの下でプラーナヤーマの伝統的な訓練法を学んでもいいし、「ボックス・ブリージング」や「横隔膜呼吸」のようなエクササイズをただ調べて、体を落ち着かせ、心を静める方法を学んでもいい。そのほとんどが、標準的な職場でのタバコ休憩よりも短い時間しかかからない。
その瞬間その瞬間の呼吸の統合された自覚であろうが、もっと強度の高い呼吸エクササイズの熱心な練習であろうが、人が静寂との最も即時的・直接的ですぐに利用できる出合いを見出せることが多いのは、呼気と吸気を通してだ。
それは、より深い感覚や身体的な自覚、拡張の内的な感覚への単純な道筋となる。私たちはこうした練習を、呼吸という、どのみち常にしていることの延長と考えている。ただ、いつもより深くやるだけだ。
(翻訳:柴田裕之)
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