そして日大会見の3人目の注目人物は「広報課長」という女性司会者だった。「会見者が入場します!」という言葉で始まり、終始明るいトーンの司会ぶりだったのだ。実際、ネットの評判を見ても「結婚式みたい」「不自然すぎる明るさ」など、違和感を抱いた人々が多かったようだ。
私はこの「広報課長」の司会ぶりを見て、「イベント司会などを多く手がけたフリーアナウンサー出身ではないか」と直感した。発声法や司会進行の仕方が場慣れしていて、とても素人のものとは思えなかったからだ。
だが、今回はあくまで謝罪会見だ。明るいトーンはむしろ邪魔なのだ。「イベント慣れした、明るい司会者」よりも「神妙に進行する実直な職員」のほうが、はるかに好感度は高かったはずだ。
「メディア慣れ」と「非常時の対応」は異なる
さて、今回の日大謝罪会見の3人の登場人物はいずれも立場は違えど「メディア慣れ」している人々であった。だが、全員が「普段通りのメディア対応」で「非常時の対応」に切り替えられなかったことで、酷評を浴びることとなったのだ。
そもそも不祥事が発生したとき、企業や大学はなぜ、謝罪会見を行わなくてはならないのだろうか。「説明責任がある」といった倫理的な理由ではなく、広報戦略としての理由だ。
謝罪会見を行うべき広報面からの理由は、「攻め」と「守り」に大別することができる。
「攻め」とは謝罪会見を機に、転落したイメージを一気に好転させることを狙うものだ。代表例は2004年のジャパネットたかたの顧客情報流出事件での謝罪会見だ。高田社長の誠実な謝罪姿勢は、今でも「危機管理のお手本」とされている。2003年の売上高は705億円。事件が起こった2004年は663億円と大幅に減少したものの、2005年には906億円と事件前を超える売上を記録するほどに急回復している。
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