IKKOさん「つらい事も乗り越える負けじ魂」の出所 何度も悔し涙を飲んだ「思い出」が生きる力に

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私が生まれ育ったのは、福岡県田川郡方城町(現・福智町)という田舎町で、かつては炭鉱で栄えたところです。生まれたときにはすでに大きな炭鉱は閉山していましたが、小学校1年のときに最後の炭鉱の閉山で煙突が倒されるさまを、地元の人たちが涙しながら見届けた光景はいまも目に焼き付いています。

それから町は廃れていく一方。私の家族も時代の波に翻弄され、何度も悔し涙を飲んだ苦い思い出があります。

母は若い頃に、東京の有名な美容室で働いていました。父もその頃は東京で働いており、母が勤めていた美容室に仕事で出入りしていたことで仲良くなったそうです。お互いに同郷という親近感もあったのでしょう。

その後、2人は結婚し、しばらくしてから地元に戻って、母は美容室を営み、父はパンの卸業で生計を立てていました。

しかし大手製パン会社の進出で、父は廃業を余儀なくされ、電気料金の集金などを掛け持ちしながら働くことに。そのため、親戚からは「日雇い」とばかにされ、私自身も父がいつも人に頭をぺこぺこと下げている姿を見るのがいやで、父のような生き方は絶対にしたくないと思ったものです。

母も時代の変化についていけず、美容室は徐々に先細りになっていきました。当時、はやり始めていたのは、イギリスのヘアドレッサー、ヴィダル・サスーンが生み出したカット&ブロー。一方、東京帰りの母が腕を鳴らしたレザーカットや逆毛を立てて仕上げるセットは、時代遅れになっていたのです。

炭鉱の閉山によって、町には活気がなくなり、時代の流れに押し流されて、そのときの父や母も、私から見ると輝きを失った人生を送っているように思えました。

私の中に、どんな逆境にも打ち勝っていこうとする「生きる力」が芽生えたのは、その頃です。いつかみんなを見返してやりたいという思いが募り、高みを目指す向上心が湧き出てきました。

その後、どんなつらいことがあっても耐え忍び、厳しいハードルを乗り越えてこられたのは、幼い頃の逆境をバネとした負けじ魂があったからです。

自分にとっては不都合な環境が、いまの私を作ったといっても過言ではありません。

私が本当に着たいのはドレス!

私は男の体に生まれながら、「心は女」だったため、ずっと生きにくさを感じてきました。

小学校に入った頃から、友人たちに「気持ち悪いオカマ」とののしられ、自分の殻に閉じこもっていた時期もあります。

「男は男らしく」といわれても違和感しかなく、周りが望んでいるような将来を想像するだけで暗澹(あんたん)とした気持ちになりました。勉強をしていい学校に入り、背広にネクタイを締めて会社に勤めるような人生は絶対にいやだと思ったのです。

私が本当に着たいのは、ミス・ユニバースやミス・インターナショナルが着ているようなステキなドレス。婦人雑誌を彩る女優さんたちや、博多人形のような芸者さんの着物姿を見ながら、きれいにお化粧をした、華やかな女性にあこがれを抱いていました。

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