その夢が打ち砕かれたのは、姉の一言から。私は当時の人気テレビドラマ「アテンションプリーズ」を観て、JALの制服にあこがれ、スチュワーデスになりたいと思っていました。
ところが姉に「男はスチュワーデスになれないのよ」といわれたのです。
そのときのショックといったら! ものすごく落ち込んだことは、いまも忘れられません。
親たちが望む人生のレールに乗りたくなかった私は、「そうか、勉強しなければいいんだ」と考えました。そうすれば、進学してサラリーマンになるコースは歩まずに済むな、という単純な発想からです。
すると当然ながら、学校の授業についていけなくなり、友人たちからは「頭の悪いぼんくら」といわれて、さげすんだ目で見られるようになりました。
「気持ち悪い」「頭が悪い」。それと、私の心を深く傷つけたのは「オカマ」という言葉です。「オカマが箸をつけたものは汚い」と周りに思われているのではないかと想像してしまい、「私は汚い」と思い込むようになります。それからは人と食べ物をシェアすることができなくなりました。
コンプレックスの塊だった幼少期
私の家では、子どもたちがアルバイトをして自分のお小遣いにするというルールがありました。
それは、子どもにお金のありがたみをわからせるためだったのでしょう。私も小学校3年から中学校3年まで、ヤクルトの配達のアルバイトをしていました。
このアルバイトを通して、よくも悪くも、幼い感受性が刺激されたことは確かです。人生勉強をさせてもらったような気がします。
ヤクルトのアルバイトは配達のほか、集金業務もあります。雨の日に濡れたカッパを着て集金に行くと、玄関先で「汚い! 裏に回って!」と怒鳴られることもしばしば。そこで子ども心に「やっぱり自分は汚いんだ」という自己否定意識が刻印され、コンプレックスの塊になっていきました。
子どもは心無い一言が原因で、それがトラウマになってしまうことがあります。心に刻み込まれたコンプレックスは、自分を磨いていくことでなくなると知ったのは、ずっとあとになってからです。
近頃は、自己肯定感の低い若者が多いと聞きます。
「自分は人より劣っている」「自分はダメな人間」と思い込んでいると、なかなか自信がもてません。
私も少し前まで自己否定と自己肯定を繰り返してきたので、その気持ちはよくわかります。人の目を気にしてばかりいた時期もありましたからね。
いまでこそ、ジェンダーレスや多様性を認めようという声が高まっていますが、それは都会の一部の人たちだけに通じる話。現実の社会はまだまだ閉鎖的で冷たく、依然として差別や偏見が残っているところもあります。
ましてや地方の、私が育った時代は理解されるはずもなく、自分らしく生きる道を模索する日々でした。
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