シリコンバレーの成功物語は、1938年にスタンフォード大学の学生だったウイリアム・ヒューレットとデビット・パッカードが、同大学のフレッド・ターマン教授のアドバイスを受けて、後のヒューレット・パッカードの製品をガレージで作り始めたことにさかのぼると言われています。
その後、1950年代後半の防衛産業、60年代後半の半導体産業、70年代以降のコンピュータ産業の隆盛を生み、90年代以降はインターネット産業、バイオ産業、2000年代以降はモバイル、ソーシャルネットワーク、クラウドコンピューティング、最近では、シェアリングエコノミーの台頭へと、つねに新しい成長エンジン生まれ、経済を活性化させています。
この地でベンチャーとしてスタートし世界的大企業になった企業とその時価総額(2015.3月末)は次のとおりです。
Apple(87.0兆円)、Google(43.7兆円)、Facebook(27.6兆円)、Oracle(22.6兆円)、Intel(17.7兆円)、Cisco Systems(16.8兆円)
言うまでもなく、これらの企業は米国経済の屋台骨を支えています(シリコンバレーの発展については、アナリー・サクセニアン教授の『現代の二都物語―なぜシリコンバレーは復活し、ボストン・ルート128は沈んだか―(講談社)』が参考になります)。
シリコンバレーのコピーでなく活用を
このシリコンバレーの隆盛は、政策的にも世界から注目され、そのコピーを自国につくろうとする「クローニング・シリコンバレー」政策が各国で展開されてきました。テクノロジー・パーク、インキュベーター、産学連携など、ハード施設や形からまねようとしたのです。しかし、その多くは日の目を見ることはありませんでした。
日本においても、1970年代末の「テクノポリス構想」のもと、1983年にテクノポリス法が制定され、全国各地でハイテク企業誘致のための工業団地やインキュベーター、振興財団が設置され、一定の産業振興はできましたが、決してシリコンバレーのコピーをつくることはできませんでした。その後の数々の取り組みも同様です。
シリコンバレーは、制度や施設で成り立っているのではなく、人のネットワークと時を経た成功物語の積み重ねで成り立っています。すなわち、起業家、投資家、大学教員・研究者、大企業人材、弁護士等専門サービスなど多様な人材が集まり、リスクを取って挑戦すること、そして、その成功や失敗の繰り返しによりつくられたチャレンジを歓迎する風土が、この地の強さを形成しているのです。歴史の中で育てられたエコシステムと言えます。
今回の「シリコンバレーと日本の架け橋プロジェクト」は、シリコンバレーをコピーしようとする政策でなく、シリコンバレーを活用する、ヒトのつながりを中心にパートナーとして共に歩むことを目指す政策です。
日本にすでにある潜在力を活かしつつ、足りないものを取り込むことに重点をおいて、日本独自のベンチャーエコシステムの形成を目指しています。グローバルに展開する視野の高さ、リスクを取って挑戦するマインドセットとスピード感、大企業を巻き込んだ事業拡大の仕組みをはじめ、企業、ヒト、機会の「架け橋」によって日本のベンチャーエコシステムの形成が大きく一歩前に進むと考えています。
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