プラスネジとマイナスネジ…この差って何? 「どうでもいい」けど考え始めたら眠れない
改めて、マイナスネジが使われていそうな場所を探してみよう。
たとえば一般家庭。風呂場などの水まわり、庭に置かれた屋外灯などにマイナスネジを発見できる。では街中では? たとえば電車の中は、たいていのところがプラスネジなのだが、乗客が常に出入りするドアの足元部分だけはマイナスネジが使われていた。
そして大磯氏が教えてくれた意外な場所が、ミシンの針板部分だ。ただ、糸くずやほこりなどで汚れやすいとはいえ、溝がつまるほどの汚れはイメージできないものの、理由がある。ミシンがご家庭にある方は、ぜひ一度取り出して想像してみてほしい。もし針板部分にトラブルが生じて、いざネジを外したい、となったときに、ここがプラスネジだったらあなたはきっと困ってしまうに違いない。
なぜなら、構造上、ミシンの上部部品が邪魔をして、ドライバーをタテにさすことができないからだ。そこで、ドライバーではなくもっと身近にあるもの、たとえば500円玉などの硬貨を使って簡単にネジを回せるように……と考えたメーカーが、ここだけあえてマイナスネジを採用したというワケである。確かにミシンのマイナスネジは500円硬貨がぴったりはまる、やや溝が太めのネジになっている。
こういう情報に触れると、世の中のさまざまな製品がよりよくあるために、いかにそのことだけを真剣に考えているプロフェッショナルがいるのかと感激してしまう。
プラスネジは本田宗一郎が日本に持ち込んだ
実は歴史的にはマイナスネジのほうが古く、プラスネジは後から発明された。腕時計が作られるようになった1920年代には、まだマイナスネジしかなく、ヨーロッパを中心とした高級腕時計メーカーにおける古くからの職人たちの手仕事の証となった。このことから、腕時計にかぎってはマイナスネジのほうが高級感やクールなイメージがあり、デザインの面で現在の製品にも積極的に採用されることがあるという。
たとえば、ヨーロッパなどの超高級腕時計ブランドとは正反対に、正確で丈夫かつ、デジタル時計のイメージが強いCASIO(カシオ計算機)の腕時計ですら、もっとも目立つ前面部分には大きくマイナスネジが採用されている。たかがネジひとつで、この業界の歴史と伝統を感じることができる。
一方、プラスネジが誕生したのは1935年ごろの米国。自動車メーカーで広く使われるようになったことから、世界中に普及していったということだが、このプラスネジを日本に初めて持ち込んだのは、あのホンダの創設者である、本田宗一郎氏だといわれている。
1952年に行った米国視察の際に「これからはプラスネジの時代がくる」と予見した本田氏の読みから60年ちょっと。マイナスネジが独自の生き残りを見せる中で、プラスネジはさらなる進化を遂げている。たとえば人間の体内で使われるためだけに開発された、骨で作られた骨ネジや、軽くて丈夫、宇宙ロケットなどで採用されているチタン製のネジなどだ。
奥深いネジの世界。工具箱のなかで眠りがちなマイナスドライバーには深い歴史があった。
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