「君たちはどう生きるか」に若者が共感する深い訳 吉野源三郎とジョブズが訴える「人生の主体性」

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その中で森田は、環境危機が招く人間の内面の崩壊について、小説家のリチャード・パワーズが『惑う星』で書いている「明らかに自己破壊に夢中なこの世界について説明を求められたとき、父は息子に何を語ることができるだろうか」という言葉を引用して、次のように語っています。

「僕はこの問いを、自分自身の問いだと感じる。できることならこんな問いかけを、子どもたちがしなくてもいいような世界にしたい。だが、もし彼らがいつか、ただひたすら「自己破壊に夢中」なこの世界を前に、どう生きたらいいかを見失うときが来たら、僕は彼らに、言葉を贈りたい。心を閉ざして感じることをやめるのではなく、感じ続けていてもなお心が壊れないような、そういう思考の可能性を探り続けたい。僕たちはどう生きるか。僕たちはどう生きていたのか。本書は、僕から未来に宛てる第一信である。」

この本を読んで、第2回で紹介した、加藤典洋の『どんなことが起こってもこれだけは本当だ、ということ。幕末・戦後・現在』に出てくる、宮崎駿の「あるとき、たまたま10歳くらいの子どもたちを見ていた。そしたら、自分は彼らに対し、いま何が語れるだろうか、という考えが浮かんだ」という言葉を思い出しました。

私たちは後に続く世代に何が残せるのか、どのような言葉を語り継ぐことができるのか――それを考えることが、私たち大人に課された責務なのではないかということです。

そして、その答えは、「美しい国」だとか「品格のある国」だとかいう言葉にではなく、より人間の本質に近いところに求めなければならないのだろうと思います。

生きた証しをどう後世に残すか

ここでもう一度考えてもらいたいと思います。

あなたが考える「善い人生」や「善い社会」とは、どのようなものでしょうか? どうしたらあなたが生きた証しを、善い形で後世に残していけるのでしょうか?

多くの名言を残した女優のマリリン・モンローは、自らの生き方を貫く姿勢について聞かれ、「私が私でなくなってしまうのであれば、何になっても意味がない」と答えています。

先程紹介したスティーブ・ジョブズの「他人の人生を生きることで時間を無駄にしないでください」と同じく、この言葉が示唆するのは、自分という存在の当事者性です。

こうした当事者性こそが、唯一無二の自分という存在の確認と他人という存在の是認、さらにはそこから導き出される多様性の尊重につながるのだということです。

「覚悟を持って生きろ」というと大上段に構えすぎかもしれませんが、今、自分が生きていることの意味を反芻しながら、一歩一歩しっかりと「自分の人生」を歩んでいく、その「覚悟」を持てた時、あなたは初めて「あなたの人生」のスタートラインに立つのです。

堀内 勉 多摩大学社会的投資研究所教授・副所長、HONZ

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ほりうち つとむ / Tsutomu Horiuchi

外資系証券を経て大手不動産会社でCFOも務めた人物。自ら資本主義の教養学公開講座を主催するほど経済・ファイナンス分野に明るい一方で、科学や芸術分野にも精通し、読書のストライクゾーンは幅広い。

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