ストーリーとしては、中学二年生の主人公・本田潤一(コペル君)が、叔父さん(おじさん)との交換ノート(おじさんのノート)による対話を通じて、社会や生きることの意味について考え、人間的に成長していくというものです。
たとえて言うなら、中高生向けに書かれた、ソクラテスの対話篇の現代版という感じでしょうか。ここで言うソクラテスとは、もちろん、おじさんのことです。
「コペル君」というあだ名は、地動説を唱えたコペルニクスから来ています。そこには、天動説のように自分中心にしか物事を考えられない人間にならないようにという、おじさんの思いが込められています。
何事も自分自身で判断すること
コペル君は、次々と難しい問題に直面する中で、おじさんとの対話を深めていきます。
例えば、「家が貧乏な同級生がクラスでいじめにあっていたらどうするか?」という問題です。見て見ぬふりをするのか、それとも助けるのかという。
上級生から「非国民の卵」として目をつけられた友人が鉄拳制裁を受け、それを助けられなかったことで、コペル君が自己嫌悪に陥って寝込んでしまう場面があります。その時に、おじさんは次のように語りかけます。
「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、 ── コペル君、いいか、 ── それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。子供のうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあダメなんだ。」
こうしたおじさんとの対話を通じて、コペル君はたくさんのことを学んでいくのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら