とんねるず石橋と爆笑問題太田の「意外な共通点」 同世代で活躍する両者にはスタンスの違いも

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また石橋は、『石橋貴明 お礼参り~』の第2週の配信で「俺は、笑いは個人芸だと思う」と語っている通り、基本的に自身やコンビがメインの番組で活躍してきた。最初からピン芸やコンビ芸でテレビに出演し、フジテレビのバラエティーが全盛の時代に活躍したことも、その信念に拍車を掛けているのだろう。

太田は、デビュー間もなく所属事務所を離れ、仕事が激減した過去がある。1993年の『NHK新人演芸大賞』で大賞を受賞し、前述の『GAHAHAキング』で初代チャンピオンの座を射止め、自力でどん底から這い上がった。だからこそ、その後のテレビに対するスタンスも変わった。

「(筆者注:デビュー間もなくは)当時主流のお笑いには反発しましたよ。それこそ『笑いの殿堂』(筆者注:1988~1989年まで放送されたフジテレビ系の深夜番組)もそうですし。あれも出ながら文句ばっかり言ってました。そういうのが多かったです。それが、今は逆にないんですよ、まったく。(中略)仕事があんまりない時期があったから、今度は『何でもいいからやらせてください』っていう」(2000年12月29日にBSフジで放送された番組をもとに、加筆・修正して再構成された本『ザ・ロングインタビュー〈4〉人は、なぜ笑うのか?―太田光』(扶桑社)より)

1980年代の石橋と太田の活躍

1980年代は、お笑いタレントがマルチな活動を見せた時期でもある。

とんねるずは、『みなさんのおかげです』や『ねるとん紅鯨団』(ともにフジテレビ系)といった冠番組をスタートさせ、俳優として映画『そろばんずく』やテレビドラマ『時間ですよ ふたたび』(TBS系)などに出演し、歌手として「一気!」でデビュー後、「情けねえ」「ガラガラヘビがやってくる」といった曲をヒットさせるなど、まさに時代の寵児となった。

1990年代にリスタートを切った爆笑問題は、とんねるずのようなテレビスターにはなれなかったが、『ボキャブラ天国』シリーズの「ザ・ヒットパレード」から巻き起こった“ボキャブラブーム”を牽引するなど、柔軟に後輩芸人たちと絡むスタンスによって人気を確固たるものとした。

また、執筆活動やラジオ番組を続けることで、長いスパンで濃いファンを獲得していったのは間違いないだろう。

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