とんねるず石橋と爆笑問題太田の「意外な共通点」 同世代で活躍する両者にはスタンスの違いも
太田もまた、別の部分でアメリカ文化を感じさせる。爆笑問題の初期のコント「人工心臓」をはじめ、『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系・1993~1994年終了)で披露した漫才はクローン人間や皮膚移植、胎児が使う携帯電話など、近未来を思わせるネタが多かった。
2018年に開催したコンビ30周年記念ライブ「O2-T1」も、全体としてSFの世界観が漂っていた。こうした作風は、太田が敬愛するアメリカのSF作家「カート・ヴォネガット」の影響によるものだろう。今年発売された太田の長編小説『笑って人類!』(幻冬舎)においても、本人がヴォネガットからの影響を口にしている。
そもそも敗戦後の日本は、アメリカ文化の影響を強く受けた。多くのコメディー映画が上映されただけでなく、アメリカのバラエティー制作を参考に日本のテレビ局がそれを実践した歴史がある。その背景を考えると、石橋と太田の趣向はごく自然のものだったのかもしれない。
多くの共通点を持つ彼らだが、違いを挙げるとするなら、“芸風”と“テレビに対するスタンス”ではないかと思う。
石橋は幼少期からのテレビっ子で、小学6年生で『アフタヌーンショー』(NET系。現・テレビ朝日)、中学3年生で『ぎんざNOW!』(TBS系)の人気コーナー「しろうとコメディアン道場」に出演している。
1980年に高校の同級生である木梨憲武とコンビ結成後も、たびたび視聴者参加型番組に出場し知名度を上げた。プロレスラーや歌手のものまね、学生やスクールメイツに扮したコント、トークの掛け合いとショートネタの組み合わせなど、ジャンルに縛られない勢いあるパフォーマンスが魅力だった。石橋が自身を“最強の素人”と公言しているのはこのためだろう。
ツービートの再来と期待された爆笑問題
一方の太田は、1988年に大学の友人である田中裕二とコンビを結成。コント赤信号・渡辺正行が主催するお笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」が初舞台だった。
当初はコントを披露していたが、途中からコンスタントにネタを作成できる漫才にシフトする。1980年代初頭に“漫才ブーム”を牽引したツービートを想起させる毒舌や社会風刺が特徴の漫才で、“ツービートの再来”と期待された。
同じ1980年代デビューとはいえ、前半と後半で辿った道はだいぶ違うことがわかる。1986年にオーディション番組『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)が終了し、お笑いタレントを志す20代の門戸は狭まっていた。加えて、1990年前後は空前の“ものまねブーム”が起き、視聴者参加型と言えばものまね番組が主だった記憶がある。
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