「M-1」は甲子園を目指すような感覚
西田:去年発売された『笑い神 M-1、その純情と狂気』という本の取材で、自分たちの本音というか「M-1」への思いを取材してもらいました。
多角的に深い取材をしてもらったということもありますけど、もし今も現役選手として賞レースに出ていたら、あそこまで話してなかったと思います。もう「M-1」においては当事者じゃない。だからこそ、話せたものだろうなと考えています。
学生時代、僕はクラブ活動もやってなかったので、遅れてきた部活動というか、野球で甲子園を目指すような感覚が「M-1」にあったんだと思います。本当にしんどかったけど、それ以上に楽しかった。今は心底そう思っています。
哲夫:しかも、結果的に「M-1」の決勝を9回も味わうことになりましたからね。初めて決勝に出て、そのまま優勝できたら、それはそれでその一回はとんでもなく楽しいものなんでしょうけど、僕らの場合、長く味わいうるマックスまで味わうことになりました(笑)。
最初に決勝に行った2002年の第2回大会。決勝進出者として自分たちの名前を呼ばれた時の衝撃は今もハッキリ覚えています。
前年に「M-1」で活躍された皆さんの飛躍ぶりは間近で見てましたし、その流れに自分たちも乗れる。売れる、売れないもありますけど、直感的に「これで、ずっと漫才を続けられる資格をもらった」と思いました。
ただ、ま、そら、9回もやってたら順番が悪かったり、こんなめぐり合わせがあるかというイレギュラーが起こったり。いろいろありましたね。9回もやってるんやから、当然なのかもしれませんけど。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら