元宝塚トップ「望海風斗」下積み時代の葛藤と転機 全員エリートの中でたどり着いたトップへの道
難関校に入ってみれば全員エリート
子供の頃、当時月組トップスターだった女優・天海祐希さんに憧れて宝塚を夢見た望海さん。2001年に19.5倍の競争倍率を勝ち抜いて宝塚音楽学校に合格し、2003年入団時は次席という“エリート街道”を歩んできたが、実際には挫折も多かったという。
「入る前は天海さんのようにいつか真ん中に立つトップスターになりたいという夢を持っていましたが、実際に宝塚に入って周りを見渡してみると、そう思っている人しかいない、という状況でした。すごく踊れる子や歌える子、お人形のようなスタイルの持ち主もいて、トップになるってすごく難しいことなんだ、と現実を知りました。
しかも実際に男役をやってみると、自分が頭で思い描いていた男役像とは程遠くて……。舞台に立てば憧れのスターさんと一緒に歌ったり踊ったりすることはすごく楽しいんですけど、一方でカッコ良くない自分が嫌で、何になりたいのか分からないような状態が続きました」
最初の大きな壁は「新人公演の主役」だった。新人公演は宝塚の育成システムの一つで、本公演の演目を東西1公演ずつ、入団7年目以下の生徒だけで上演するもの。若手の実力を測る試金石であり、スターへの登竜門でもある。歴代のトップスターはほぼ全員がこの「新人公演の主役」を経ており、天海祐希は入団1年目で主役に抜擢されている。
「新人公演で主役をやらなければ次に進めない。(配属された)花組はスターさんが揃っていて、その中で自分が主役をやることができるんだろうか、という不安がありました。それでもやりたい、という思いが強くなってからは、どうしたら選ばれるのかということをものすごく考えるようになりました」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら